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国際宣教神学院落成記念ミサでの深堀司教挨拶

 

この国際宣教神学院は,神様がお建てになったもの,そして世界中からお選びになった神学生をここで日本および全世界の宣教のために養成するという目的で作られたものでございます。
この神学院は何をするかということをお話をすると非常に長くなりますが,ここでみなさんがちょっとお忘れになっているかもしれないことを含めて申し上げます。

神学院では人間教育に力を入れます。
もちろん,霊的教養を深めること信仰を深めることは,これまた大事なことであります。

さらに,将来の霊的指導者として,人々を導くという重大な役目を果たすに必要な知的すなわち学問的な訓練もここで行われます。
神学生は生身の人間であります。ですから,まず共同生活の中で非常に厳しい隣人愛の実践を引き出さなければなりません。お互いが集まって,そして自分の欠点をさらし出しながらその角を削り円満な人格を作っていくように,日々愛の実践をおこなって参ります。これがなければ霊的生活,神の子として生きる一番の土台が欠けたことになるからであります。

霊的生活の中心は言うまでもなく祈りを深めることであります。祈りとは神様との関わり,神様との会話の生活であります。人と人との交わりを超えて神様と私との語らいが深まっていくこと,神様の愛を心の中に深く悟り,それを証するに足る充分な養成を受けること,これは神学校の主眼となります。

さらに,この神学生はキリストの代理者として世の人々の前に立ちます。彼らの一つの条件はキリストになることであります。キリストのようになること,キリストの弟子になることです。これは恵みの賜であり,そしてそれに答える信仰の態度を必要といたします。

さらに知的,学問的な研究がここで行われます。哲学をはじめとして神学の分野,聖書学あるいは教会法,典礼,その他様々の司祭的学問をここで深めて参ります。

いずれにせよ,神学生は将来牧者として人々の前に自分を捧げる者となります。自分を与えきること,主キリストがそうなさったように自分をすべてキリストに捧げる者,そして人々への奉仕に生涯をかける者になること,これが神学校生活の目指す目標でございます。 この神学院はそういう人々を集めて,ここで特別の訓練を続けて参りますけれども,神学生の,将来の司祭の養成はこの限られた場所においてのみ行われるのではございません。全教会が,つまり具体的に申しますならば,みなさまが所属していらっしゃるそれぞれの小教区というその共同体においても神学生の養成は行われます。神学校は教会全体が神学院であります。そして,そこにいる全ての信者のみなさんが「司祭を養成する」という重大な責任を担うことになります。従って,みなさまのお祈りとそして適切な指導と,忠告を,模範を,示していただきたいとここで特別にお願いいたします。

神学生のよき養成,司祭の養成が出来ますように,この建物を与えてくださった神様に信頼を込めてお祈りしお願いして参りたいと思います。

 

(2001.3.20 国際宣教神学院落成記念ミサのビデオから聞き取り---長谷川)

 

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