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四国知牧区創設100周年記念大会挨拶等(2004.11.23)

細谷委員長 
 記念大会の開会に当たり,100周年実行委員会を代表して一言ご挨拶を申し上げます。本日はご来賓として駐日教皇庁大使秘書カレンガ神父様,大阪教区長池長大司教様,広島教区司教総代理斉藤神父様,前高松教区長深堀司教様のご臨席を賜り,また記念講演の講師として高松市にご縁の深いドミニコ会ロザリオ管区の岡本神父様をお迎えして,記念大会を開催する運びとなりました。心から厚くお礼申し上げます。また600名を超える司祭,修道者,信徒の方々が四国各地からご参加賜り深く感謝申し上げます。
 ご承知のとおり,当高松教区は1904年明治37年1月27日教皇ピオ10世の教令によって新設され,大阪教区から独立いたしました。以後45年間の司牧は,ドミニコ会ロザリオ管区に委ねられていましたが,第二次世界大戦後の1949年昭和24年以降,ドミニコ会,オブレート会,スペイン外国宣教会,教区司祭団が四国各県を分担して司牧して参りました。1963年昭和38年9月13日には,高松教区に昇格し,その後41年を経過して今日に至っております。
 今年は,四国知牧区創設100周年の記念すべき年を迎えた次第でございます。昨年10月,この100周年をより有意義なものとするため,記念行事準備委員会が組織され,その後実行委員会に改組することになりましたが、この委員会の下に3つのプロジェクト、すなわち「記念大会」「記念事業」「記念誌」の作業委員会が設置されて,本格的に取り組んで参りました。この間,教区信徒使徒職協議会の全面的なご協力の下,各プロジェクト委員会とも精力的に準備を行い,ようやく本日の記念大会を迎えることになりました。終始熱心にご協力頂きました修道会,宣教会,小教区を始め,教育・医療・福祉関連施設等各関係機関の皆様に対し,心からあつくお礼申し上げます。とりわけ,記念募金につきましては,当初目標の2倍を超える金額に達し,おかげをもちまして本日の記念大会もより充実したものとなり,また,記念誌もすべてカラー写真にして見違えるようになりました。ここに重ねて深く感謝申し上げます。
 ところで,この一年間の準備を通して,強く心に残ったことが2つあります。第1は100周年を迎えるに当たって,明治・大正・昭和の時代を通して苦難の道を歩んで来られた先人達の生き方に学ぶということであり,その信仰の遺産をしっかりと受け継ぎ,次の世代に伝えていく使命が,私たちに課せられているということであります。
 第2は,記念行事として取り組んできた今回の「記念大会」「記念事業」「記念誌」を,ただ単なる行事,あるいは,ただ単なるイベントに終わらせてはならないということであります。私たち1人1人が100周年という歴史の節目を迎えて,もう一度信仰の原点に立ち返り,自己を変革していく恵みの時にしなければならないと痛感しております。
 このたび100周年記念誌のタイトル,表題に選びました「立て!!行こう」,これが記念誌でございますが,この表題に「立て!!行こう」を選ばせて頂きました。これは,2000年前,受難に向かう主イエスキリストが弟子達にいわれた御言葉でありますが,それは同時に現代に生きる私たち1人1人に呼びかけられた御言葉でもあります。今回の記念行事が,この主の呼びかけに応えるための,一つの契機になれば誠に幸いであります。
 終わりに,溝部司教様のご指導の下,聖霊のもたらす一致をモットーに全教区民が力を合わせて福音宣教に励み,高松教区が今後ますます発展していくことを心から祈念してやみません。
 記念大会の開会に当たり,準備の経過と,所感の一端を述べて,私のご挨拶といたします。本日は100周年記念大会,誠におめでとうございます。ありがとうざいました。

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溝部司教
 遠方よりご来訪下さいました来賓の皆様,バチカン大使の代理をなされているカレンガ参事官,大阪の大司教池長大司教様,広島教区の三末司教の代理としてみえております斉藤神父様,そして多くの信者の方々,式典の準備のために苦労なさった皆さん,そして何よりもこの100年間営々と仕事をなさって下さった今は亡き先輩の神父様方,あるいは今なお働いておられる神父様方,すべての方々にこの場をお借りしまして感謝申し上げます。
私はこの四国の教区にとりましては新参者であり,教区の事情も歴史も存ぜず,通り一遍の挨拶になりますけど,100年ていう歴史の重みはしっかりと意識しているつもりでございます。
 100年前と申しますと日露戦争が終わり,日本はその戦争の余波を否が応でも感ぜざるを得ない状況でした。国粋主義の目覚め,世界の中での日本と新しい時代を作っていったこれが100年前の日本でした。民権思想が高かったこの四国地方におきましても,日本ていう意識が否が応でも高まりを見せないではおられませんでした。
 100年前のカトリック教会も大きく変わろうとしていました。長崎の旧信者を司牧するという体制から,もっと日本の社会の中に浸透した福音宣教を考えるようにしたいというローマの意向が強く日本の教会に反映されました。
 その流れの中でフランス人のパリ宣教会だけではなくて,もっとバラエティーに富んだ修道会の招聘ていうことを,日本教会は積極的に推し進めました。四国へのドミニコ会招聘もこの路線にありました。従って,司牧っていうことよりも宣教を中心とした教会のあり方を考えようとした,これが100年前のカトリック教会の事情でした。この100年間は,日本の近代史と密接につながっております。大正の平和外交時代,昭和の恐慌,軍国主義と大陸侵攻時代,終戦と昭和の経済的発展の時代,平成に入っての現代日本,次から次に抱える諸問題と時代が大きく変わりました。まさに,日本にとっては怒濤の時代でした。そしてカトリック教会はその時代時代に応じながら,自分の声を上げて参りました。それだけに,この100年を営々と築いた教区っていうのは小さいかもしれない,貧しいかもしれません。でも大きな価値があると信じてやみません。この意味で,この100年間で,四国におきまして,カトリック教会は大きく発展したといっても過言ではありません。カトリック教会は決して数を誇ることはありません。数よりも1人1人が意識して,現代社会を生きることの方を大事にしています。
 今,四国の教区も新しい時代に入っております。古い伝統と新しい価値観と,それがそりが合わずに今苦労しております。しかし,これらを通してきっと新しい時代が生まれて来ると信じてやみません。
 終わりになりましたが,営々とここまで教区を作り上げて下さったすべての方々に心から感謝申し上げて,この私の話を終わりにいたしたいと思います。

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教皇大使エムブローズ・デ・パオリ大司教
(代理:レオン・カレルガ教皇庁大使館参事官)

 司教様,男子・女子修道会の皆様,姉妹兄弟の皆様,ご来賓の各位の皆様,長い演説を申し上げるつもりはございません。駐日教皇庁大使エムブローズ・デ・パオリ大司教の名代として,また私個人として一言お話ししたいと思います。
 この偉大な記念大会に出席するようにとの温かいお招きに対して,溝部脩司教様並びに高松司教区のすべての皆様にお礼申し上げます。どうもありがとうございます。
 その思いやりと友愛に対して,我らの主に感謝します。この100周年記念は,そのこと自体誠に感謝の讃歌に値します。司教様を囲んで調和にうちに集い,すべての恵みの源である私たちの主を讃え,一つの食卓を囲む神の子供の家族である高松の教会を見ることができます。
 神は高松に兄弟と姉妹を与えて下さいました。神は誠実にして,私たちの彼への希望はむなしいことはありません。私たちを愛して下さる主に,喜びを持って感謝を捧げましょう。群れが小さいからといって落胆してはなりません。福音宣教の成果は数によるものではありません。キリストは,私たちにこう教えています。人の目には小さく隠れているものも,莫大な成果を得ることができる。全能の神の取りなしに感謝。
 福音の知らせは今までよりより積極的に平和・共生を打ち立てるよう求めています。それは私たちの一致を育み,困難に打ち勝つ情熱を与えてくれます。教皇様の使徒的祝福をお伝えすると共に,この記念大会の盛会と,皆様の上に主の平和と喜びがあるようにお祈りいたします。

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池長大司教
 本日心からおめでとうございます。このごろ,お祝いばかりで3回ほどこちらに連続して押しかけさせていただいております。本当に,今日もですね,知牧区の100周年ということで大きなお祝いになりました。
 これまでの,この,今の教区を築いた宣教師の方々や神父様修道者の方々,本当にたくさんのご努力があったと思います。特に,戦時中を通してのですね,あの大きな苦難の中で,これだけカトリックがここに根付いてきたことをすばらしこととして感謝申し上げたいと思うんですね。と同時に,私はこの100周年をひとつの契機にして,これからの発展ということについても,皆様と共に考えて共に歩んで行けたらと思っております。
 で,実は1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に来てからですね,迫害がすっごく厳しくなるまでの間,1630年頃ですけども,それまでの間のこのキリスト教の入り方というのは,実にすさまじいものがあったんですね。もちろん洗礼の数もどんどんと増え広がっていったということともに,ヨーロッパのキリスト教の信仰と文化内容も,猛烈な入り方をしております。今振り返ってみたら驚くんですね。あの南蛮美術というジャンルのああいう大きな屏風とかですね,そういうものが生み出されていったときというのは,わずかこの間80年ぐらいですよ。その間にあれだけの美術作品を生み出して,そして絵画だけではなくて,銅版画,それから漆器ですね,そういったものが日本でヨーロッパの技術から,そしてヨーロッパの図案みたいなものが,どんどん入ってきて,それをたとえば聖櫃とかですね,「せいごう」といわれる,何か御絵をその中にこう包みこんで扉を開けると御絵が見えるようなそういったものとか,漆器類も逆輸入をするぐらい,ヨーロッパに輸出していったんですね。で,非常に貴重がられた,螺鈿がいっぱいちりばめられたそういう漆を使っての技術,日本で生み出して向こうに輸出してるんですよね。これほどの発展というのはもうすごいです。当時,実はミケランジェロが大活躍をしていた時代です,ちょうど。だから,ヨーロッパ文化も絢爛たるものがあった。そういうものがこれだけ早く吸収されて逆にヨーロッパに流し出されたっていうのは,すごいことだと思います。わずかの間にですね。
 で,みなさんもよくご存じの天正少年使節4人がヨーロッパに送られたんですね。なんと音楽の分野でも,彼らは楽器を弾きこなしたんですね。残念ながら,楽器の種類が何であったかは,記載されたものが今まで発見されていないんですけれども,とにかく西洋の楽器を使って日本でそれを演奏することを学んで,逆にローマに,そしてヨーロッパに乗り込んでですね,それを演奏したところがヨーロッパの人たちは驚いたんですね。あの4人の少年使節ですよ。なんと彼らは王侯貴族の前で立派に演奏できるぐらいの,すばらしい演奏を我々の目の前でやってのけたということです。で,これね残念ながら迫害が厳しくなって,ぱっともう全部押さえつけられてしまった。もしあれが続いていったら,すごい日本文化との融合までいってたと思うんですね。
 ただ,ここから一言申し上げたいことは,これからの時代,やはり日本人の心がほんとになじめるような教会の中の,たとえば典礼音楽にしても典礼にしても,あるいは絵画・彫刻そしてこういう建物,御聖堂,建築にしてもですね,私は時代をさかのぼって逆戻りせよというんじゃなくて,今の日本人の心が本当にしっくりと来るような,そして普遍的なカトリック教会において,外国の方々もなじめるような,そういうものがどんどん生み出されていったら,私はキリスト教というものがすごく日本人に認められ,発展していけると,ま,非常にそういう夢を見ております。で,これは信徒が大事なんですね,あの全部過去において美術を作り出したものも,教えたのは宣教師であったけれども,学んで芸術を生み出したのは信者,特に若者達,狩野派の画家も多少混じってましたけども,そんな人たちですね。カテキズムなんかも本当に日本人の心にずっとこう通じて入っていくようなカテキズム内容が生み出されるためには,やっぱり信徒の方々もこれから司祭と修道者と一体になって,いいテキストか何か生れだしてですね,今翻訳を私たちしてるんですけども,そのために。そういったものから,カテキズムの内容も日本人に深く入って行けるようなものが生み出されて行ければいいなあと思います。
 今日のご挨拶ですけれども,同時に私の大きな夢と期待,皆さんの前で申し上げさせていただいて,これからの益々のこの四国における高松教区の発展も心からお祈り申し上げたいと思います。

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深堀司教
 皆様おめでとうございます。久しぶりに皆様のお顔を拝見できて,非常にうれしゅうございます。特にこの四国知牧区ができて,高松教区の最初の姿が形作られて,100周年迎える皆様におよろこびを私もあずからせて頂いております。
 この100周年を迎えるにあたって,やはり過去のことをしっかりと見つめたいと思う,それは私たちがこれからどのような歩みをしたらいいかということを,そこから学ぶことができると信じるからであります。
 この最初の45年間のドミニコ会の司祭達を中心としたこの地方の宣教活動については,たくさんのご苦労があり,困難があり,危険があったはずですが,その具体的なことは岡本神父様がすぐここでお話下さいます。そこから私たちが何を学ぶのか,それは私たち1人1人の問題です。私としてはやはりこの過去のことを学びながら,今,新しいといいましょうか,その最初の時代とは全くと言っていいぐらい違った状況の中で,同じく福音宣教をしていくということが,一体どういうことに着目すべきかということを,やはり考えていきたいと思います。まあズバリ言えば,昔は明治時代,大正,昭和の初めにかけて,福音宣教の道は狭かったと思うんです。非常に険しい道であった。そこを通って宣教を続けるということに,どんなに大変な苦労があったかということを,私たちはやや想像できますが,今日のお話でそれをもっと明らかにして頂くことができると思います。
 さて,私たちが今から今の状況の中で,どうなるんだろうかと。今の新しい状況というのは宣教が本当に易しい時代なのでしょうか。道が広くなったのは事実です。険しい山が平坦になったということも,当たり前です。方法論においても,いろいろないわゆる新しい福音宣教の道が作られてきておりますけれども,では今福音宣教は易しいのでしょうか。パパ様はもう繰り返し繰り返し,私たちに向かって「福音宣教に励みましょう」とおっしゃるのは,それは現代という時代に福音を述べるということは,ほかのどの時代にも増して,難しい神の働きだからだ,それを担う私たちは,苦労なしに,易しく,実り豊かなものが簡単に手にはいるなどということを誰も信じていません。経験上わかっています。しかし,私たちはそのパパ様の薦め,そしてまた私たち自身に芽生えている宣教への熱意というものを育てながら,新しい時代に向かって進んでいきたいと思います。皆さんは,そのお気持ちで今日のこの記念の大会をお迎えになっておられると存じます。私も皆様と同じ心です。
 皆様がんばっていきましょう。ね,やりましょう。皆さんの熱意に心から賛成し,皆様のためにお祈り申し上げます。そして,特に新しい司教様をこの時期にお迎えしたということは,非常にこれは神様の大きなお計らいだったと思います。溝部司教様の下に皆様が一致して聖霊に助けられて,一つの心になって教会の使命を果たして行かれますように。皆さんに心からお願い申し,そしておよろこび申し上げます。

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