復活の主日ミサ説教

2005年3月27日
  於:桜町教会

 復活祭と申しますと,弟子たちが復活したことをすぐ信じたと思われるかもしれません。でも今日の福音も次の日曜日もその次も,聖霊降臨までは,弟子たちは復活を信じておりません。教会が始まって,すなわちイエス様がこの世を去り聖霊が下って初めて,復活があったと弟子たちは信じるようになります。今日の福音書を読んでいたら,復活があって素晴らしかった,ということは決して言っておりません。その意味で復活節の日曜日は,福音を続けて読んでいかれると,聖霊降臨までが1つの固まり,ブロックであるということがおわかりだと思います。

 まず,マグダラのマリアが墓に行きますと,石が取り除かれていたと言っております。石というのは何でしょう。心にしこりとして残っているもの,これが石です。神様はこの石を取り除いてくださいます。復活というのは,私の心にしこりとして残っている石を取り除くことです。その石というのは罪であり,死なのです。具体的にはわだかまりとか,嫉妬,争い,ねたみ,憎しみです。この私の中にくすぶり続けているしこり,あぶくみたいなものを,神様は取り除いてくださいます。これが復活です。それでも,そのしこりやあぶくは,私たちの心の根っこの中にしっかりと残ります。この根っこの罪を滅ぼしてくださるのが,主だということです。あるいは,神様しかそれができないと言っております。
 イエス様の復活をお祝いするというのは,「この私たちの中にくすぶり続けている根っこの中にある罪を,きれいにしてくださる主がいるということを信じる。」,それが復活の信仰です。私たちのこの石を取り除いてくださるのは,神様だけです。あの方はすべてを取り去ってくださって,新しい命の息吹を私たちに与えてくれます。私たちの石とは,生活のこと,仕事のこと,人間の関係のこと,自分との関係のこと,いろいろなことを通してしこりが残っております。これらのうまくいかない部分が,私たちの生活を重くしています。その根っこには,実は自分に抜けきれない罪があるからです。神様は,その根っこの部分であるその罪に触れてくださいます。これが救いであり,復活であると言えます。
 昨日申しました自分の根っこにあるこの罪,根っこにあるこのしこりに気付かない人は復活とか救いということを決して体験できません。石にさらされているというのはこの世の思いで一杯の状態のことを指しております。目の前のことだけを見つめて,そこから一歩も抜けきれない状態,これが石にさらされているということを指しています。そして人間の力でどうにかどうにか乗り切ろうと焦ります。

 大切なのはあの方に頼るということ,そういう姿勢を持つということです。信仰というのはそういうことなんです。あの方に頼る。復活した主は,弟子たちに自分の方から会いに来られます。復活というのは主が会いに来られて,そして出会ってもらえるとき,初めて可能になります。私がではなくて,あの方が私に会いに来てくださるときに,初めて私のこの根っこにある石が取り除かれます。私が今日お願いしているのは「主よどうぞ私の所に来てください。そして,私の根っこにあるこの石を,このしこりを取り除いてください。」という祈りをすることなんです。
 振り返ってみますと,若いときからどれほど私たちは悩んだことがあるでしょう。しかし今になって考えてみますと,その大半を憶えておりません。たぶん深いトラウマになっている過去の出来事もあるでしょう。自分の力ではどうしようもない大きな過ちもあったでしょう。それは全部トラウマとなって心の奥底に沈んで,深い重しになっております。思い出してみますと,自分が小さかったこと,ある思いにとらわれそこから一歩も抜けきれなかったこと,どうしてもそれでないといけないと思いこんだこと,これらが全部原因となって私の心を重くしております。トラウマになっている大きな傷の場合は,人間の力ではどうしようもないという無常感に駆られることもあります。それぞれ振り返ってみたら自分の心の奥底に傷があります。大きいか小さいかトラウマがあります。そしてそのトラウマ,その傷に触れていただくこと,これが復活なのです。それをイエス様はやって下さいます。私の心の傷を担い取り去ってくださるのは,主だけです。罪とは自分の力でそれを何とかしようとする,これが不信仰であり,罪なのです。

 復活の主に出会うことで弟子たちは変えられます。復活というのは甦った主と出会うことです。新たな形で主と人々が出会う,これが復活です。そして復活された主は,新しい使命をお与えになって全世界に行けとお命じになります。私たちは,主が伝える言葉を伝える務めを持っております。そのために主と出会いました。今ここで,自分の一番心の深いところで,主と出会った私たちは,出会ったその喜びを人々に伝えるということをしないといけません。
 今年のあなたの復活祭はどうだったでしょう。ただ単にお決まりの年中行事の1つでしたか。この聖週間を通してしっかりと自分の人生を見つめる,そしてこの復活の祝いを祝っているあなたでしょうか。昨日の光と水の典礼に与って,あなたの心は感動ましたか。新しい生き方に変わるということを感じておられますか。復活というのはこういうことなんです。ただ単に外的な行事をしたとかいう事ではない。自分の内面を深く見つめ,そこに復活した主と出会って新しく生きるというわざを行うことです。
 最初に申しました今日の復活の場面も,次の週からの場面も,決して主に出会ってない人たちのことばかりが出て参ります。聖霊が下って,初めて主と出会うということが行われます。再度お勧めします。続けて来週再来週と,聖霊降臨まで1つ1つの福音をゆっくりと読んで,復活ということをお考えになってみて下さるようにお願いいたします。


    ※司教様チェック済