故ヨハネ・パウロ2世追悼ミサ説教

2005年4月17日
  於:桜町教会

 私は,先々週ローマでの教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀ミサに与って参りました。特等席で参列しましたので,よく見ることができました。また,葬儀ミサの前後にもローマにいましたので,ローマの興奮した雰囲気というのも私なりに肌で感じておりました。特に,2,3日前から200万とか300万という巡礼の人たちが,その多くは若者ですけれど,ローマを目指してやってきまして,その多くは野宿をしておりました。また,遺体に挨拶するために12時間とか15時間列で待っておりまして,遺体の前に着いたときにも10秒ぐらいしか残れない,その10秒にかけて15時間待っている,こういう人たちを見まして,いろいろなことを考えさせられました。
 でも,なにがこのようにさせたんでしょう。なにが人々をこのように動かしたのでしょう。私をこの高松教区に送ったのも,この教皇様でしたし,特別な使命を直々くださったのも,この教皇様でした。今,私は特別な思いで彼の統治した27年間というのを振り返って考えてみたいと思います。

 まず,葬儀の日ですけれど,世界の政治の首脳が全員集まったということです。それはブッシュ夫妻でしょう,その父親でしょう,クリントンとライスでしょう,アナン事務局長であったり,イギリスのブレア夫妻がいて,シラクとドイツ首相,スペイン,イタリアの首相,それからフィリピン,韓国と目の前を次から次に首脳部が通って行きました。また,皇室関係では,翌日結婚式を控えておりましたイギリスのチャールズ皇太子とか,ベルギー,スペインの王室,モナコの王室,ルクセンブルグの皇室と最前列を占めていたのはこの人たちでした。2列目,3列目から各国の首脳がいまして,最前列は全部皇室が占めておりました。日本からも皇室が参列していれば,その最前列に座っているだろうと思いながら見ておりました。
 司式者のラッツィンガー枢機卿が,ミサの中で「平和の挨拶をしましょう」という呼びかけをしましたときに,フランスのシラク首相はアメリカのライス長官の手に接吻をし,イスラエルとシリアが抱擁しあい,あの小さなスペースの中にすべての首脳がいましたので,今戦争をしている国とか昔戦争をした国が全部平和の挨拶を,ラッツィンガー枢機卿の挨拶の言葉で,かわしておりました。
 これは,この教皇の偉大さを物語って余りあると思われます。私は自分の前で繰り広げられている光景にひどく感動しました。

 では2番目の質問です。どうしてこれほどの首脳が一堂に会したのでしょう。何がローマに引きつけたのでしょう。それは,この教皇が世界に発したメッセージにあるからだと私は思います。人権を踏みにじる体制に対して,敢然と挑みました。「核武装の時代にあっては戦争は決してあってはいけない。」と力強く言明しました。その結果として,共産主義国家は瓦解しました。ヨハネ・パウロ2世はある国家を壊したというのではなくて,そこに生きる人たちの意識を変えたのです。すなわち意識を変えるメッセージを人々に伝えたということに彼の偉大さがあります。その意識とは何でしょう。人間本来持っている権利,人権の尊重,生きる権利,教育を受ける権利,信教,思想の自由というのを彼は高々と掲げました。これを踏みにじるものはいっさい許しませんでした。彼のこの意識の変革の活動の前に,政治体制も権力そのものももはや力で押さえることはできませんでした。こうして独裁体制が瓦解していったのです。
 ヨハネ・パウロ2世の私たちへのメッセージというのは「意識の改革を急ぎなさい」ということです。しかも,彼はそれを行動で表しました。世界への旅は平和のメッセージを携えた旅でした。そして,そのメッセージは人々の心に深く染み通りました。キリストの教会も世界に発するメッセージを持つことがとても大切です。自分たちの教会のこと,教義のことだけにとらわれてはいけないのです。私たち地方の教会にあっても,世界に通ずるメッセージをしっかりと発していかなければなりません。教会に人々が来るとか来ないとかいうことよりも,現代社会に発する確かな言葉,メッセージを私たちが持っているかどうか,これが教皇の追悼にあわせて私たちが振り返ってみないといけない課題になっております。

 まず考えてみましょう。私たちは自分が伝える言葉を持っているでしょうか。何をメッセージとして周りに伝えて行くのでしょう。内向きの内向きの教会ではなく,現代社会の必要に応え,行動する教会の姿というのが必要となって参ります。しかし,ヨハネ・パウロ2世も,時の人であるということを私たちに窺わせております。限界がありました。独裁政治政権よりも手強い相手に立ち向かうことに,大きなとまどいを覚えておりました。先月も今月も,2回私はローマに行っておりまして,その中で教皇が病気になったこと,この教皇様がいろいろな形で限界があること,こんなことをローマでは噂されていたのを聞いております。
 それはどんなことでしょう。独裁政権が倒れても,もっと大きな力が世界を,教会を襲って参りました。それは世俗化の波といってもいいでしょうか。自由主義社会はすべての価値観を相対化します。すべての区別を取り除きます。ポストモダンと呼ばれる時代の特徴です。遠藤周作の表現を使うと,このポストモダンは「底なし沼」の状態であるといえます。どうでも良いという価値観の前に,絶対とか一神教化ということは時代錯誤と思われてしまうのです。混沌たる人生観の前に,何を選んで良いのか人々は分かりません。たった一つの価値観なるものは,「この世的な価値観が絶対だ。」ということです。この世界を越える人生観,超自然というのは霧の中にかすんでしまいます。摂理とか,神の手とか,神を代理する教会の権威とか,すべてもはや通用しません。全部我々と同じレベルに引きずりおろしてしまいます。いくらメッセージを発してもスポンジのように吸い取って跳ね返すということがもうできません。このような世界に何を伝えていったら良いのでしょう。
 ヨハネ・パウロ2世の一番大きな悩みはここにありました。伝えても伝えてもそれは跳ね返すものとならないという悩みです。教皇様は大聖年前後まで,教会刷新という路線を強く出しました。それが2001年に出された使徒的勧告「紀元2000年の始めに」に要約されております。
 この勧告は3章より成り立っていますが,その内の1章と2章はキリストから出発する,あるいはみことばを味わうということに捧げられています。すなわち教皇様が憂えていたのは,現代社会の世俗化の波の中に翻弄されて,教会は本来あるべき姿から遠くなっているということを,非常に感じ取っていたということです。

 問題は,このポストモダンの時代を,社会に,どのように私たちは立ち向かっていけばいいかということです。混沌とした社会だからこそ,力ある,カリスマ的指導者が求められました。確かに,ヨハネ・パウロ2世はカリスマ的指導者でした。けれども,この教皇様もこの現実の前にとまどい揺れていたことを,私たちは読みとることができます。
 次の教皇様の一番大きな課題はこれだと思います。混沌たる価値観のない社会にどのようにキリストのメッセージを伝えていくのか,宣教とは何か,これが次の一番大きな課題になって参ります。ヨハネ・パウロ2世は現代の問題に挑戦すると同時に,倫理とか規律というところでは,厳しい保守的な線を守りました。あるいは規律の枠にはまらない運動を指示して刷新を促進させようともしました。どれも中途半端で今終わった状況であると言えます。それほど現代社会は混沌として,教会に新しい指導者を求めているということが言えそうです。その意味で既成の教会組織とか修道会の限界というのを,この教皇様は強く感じておりました。

 長くなりました。言い尽くせないとが多々あります。最後ですが,この教皇様は若者を引きつける優れた感性を持っていました。教会刷新ということでも,若者を育てるということに情熱を燃やしました。私も今高松教区にありまして,最優先課題は若者を引きつける教会づくりに成功するかどうかということに,すべてがかかっていると信じて疑いません。教皇様の,ヨハネ・パウロ2世の遺訓を学ぶとしたら,この教区は「若者の育成に力を注ぐ」この一言に尽きるんではないかと考えております。


    ※司教様チェック済