高松司教区女性研修会ミサ説教 年間第15主日マタイによる福音(13:1−23)

2005年7月10日
  於:桜町教会

 今日,良い種,良い土地に落ちた種の話がされています。自分の人生を振り返ってみて,まだ茨があるかな,今茨の中に自分があるかなということをよく感じております。
 私を洗礼に導いて,洗礼の時の代父になった人がいますが,私がイタリアから司祭になって帰って彼の家を訪ねたとき門を閉じて,会ってくれませんでした。「カトリック教会とは縁を切りました。」と中から声が聞こえて,「もうあなたとも関係がありません」と言われたのをよく覚えております。あんなに熱心に私を教会に連れて行ってくれた人が,教会を拒絶して最後はどうなったかなと気になりましたが,そのままになってしまいました。

 先日,私の昔の友人が亡くなったという知らせを受けました。一緒に洗礼を受けて,一緒に勉強をした仲間でした。知らせを受け取ったとき,子供の時のこと,中学校の時のこと,高校生の頃のことの思い出がたくさんよみがえって参りました。彼は教会にいつも一番最初に来ておりました。一番熱心に公教要理の勉強をしておりました。彼の隣の家に,後輩で,後から南海ホークスのエースピッチャーとなる三浦というのがいまして,その三浦君のお姉さんが信者でして,若いそのお姉さんが私たちに勉強を教えてくれておりました。今でも別府教会のお墓に行きますと,三浦さんの写真が貼ってあるお墓があります。若くして亡くなって,私たちに非常に印象が強かった人でした。ちょうど三浦さんという先生がいたこともあって,よく友達の家に行っては遊んでおりました。一緒に勉強もしたりしていました。ミサの侍者をするときには,そのころ子供たちが多かったので,早く行かないと侍者の服が足りない。6時半からのミサがあるとしても,みんな6時には来て侍者服をもらうという競争をしておりました。彼はいつも一番で,私は何回も侍者服がもらえなくて侍者ができなかったのを覚えております。当時はラテン語でミサがありましたので,ミサの侍者もラテン語で応えないといけませんでした。ラテン語で応えるためには意味が分からないけれども,ラテン語で暗記しないといけないので,そのころみんな男の子たちはラテン語でミサを暗記していました。どんなに早くラテン語で言えるかという競争をして,神父様から良くできた人には褒美をもらったりしておりました。
 私が高校を卒業しまして,別の町の道端でひょっこりと出会いました。その道端で焼き栗を焼いて売っていました。どうしてこんな所にいるのかと聞くと「親との折り合いが悪くて飛び出した」と,こんな話をして道端で少しおしゃべりをして別れました。3回目に会ったのは同窓会の日でして,彼は甘栗屋をやっているので甘栗太郎だという自己紹介をして,子供もいて幸せそうな感じがしておりました。教会はどうしてるかというと,教会はご無沙汰していると,子供たちはどうしてるかと聞くと子供たちは教会に行かせていない,嫁さんがそういう関係じゃないからとこんなことを言っておりました。最後に会ったのは道端でして,もう私が神父になって何年もたっておりました。どうしてるのかと聞くと,嫁さんと折り合いが悪くて家を飛び出したと,今で言えばホームレスになっておりました。
 同時に教会の門をくぐりましたが,一人が司祭になり,もう一人が完全に教会を離れてしまいました。最後がどうだったかは,いっさい分かりません。ふと,この福音書を読みながら,彼にとってキリスト教に入信したというのは,どういうことだったのかなということを思い合わせました。今我々みんな70才になって,この年になって,昔入信したことは何なのかということを聞いてみたいという気持ちがしました。でもその時にはもういないものです。
 純粋に信仰を持っているようであっても,その実,茨はどこからかどのような形でか一人一人の中に張り巡らして,私たちの心をずたずたに引き裂いているようです。私たちは,自分が順調に信仰を生きているという錯覚を持っているだけにすぎないかもしれません。何才になっても,茨は私たちを困惑と迷いで取り囲むようです。

 もう一つのお話をしましょう。
 私の後輩で聖書の学者がいます。有名な神父さんです。非常に人格者で,穏やかな人柄でみんなから慕われておりました。教えても,学問の深さもあり,人々は慕っておりました。ところが,癌になって倒れて,そして人がうって変わったようになって,凶暴性を帯びた鬱になってしまいました。あれほど人々に言い続けてきたイエスという名前はもうこの神父さんの口から聞かれなくなってしまいました。健康そのものであった,あるいは今でもそうなんですけど,そんな感じがする同年配の私が健康であるということだけで嫌悪感を覚えたのでしょうか。あまりまともに話し合ってくれませんでした。

 順調にすくすくと育った種が,必ずしも順調に百倍の実を結ぶとは言えないと言えるかもしれません。百倍の実を結ぶには茨を乗り越えないといけないのかもしれません。私たちは純粋培養的に信仰に育てられたら,信仰がすくすくと育つとは言えないいろいろな要因が社会の中に渦巻いていて,その中でもまれもまれながら,本当に何が一番大事なものかというところに到達するしかないのです。ここが問われているところではないかなという気がいたします。だから,今日の書簡で言いますように,聖パウロは「心の中でうめきながら,贖いを待ち望んでいます」と言っています。まっすぐ走ってるわけではない。うめきながら私がどのように救われるか,ということを望んでジグザグしながら信仰の道を歩んでいるのです。
 振り返ってみますと,私たちも同じことではないでしょうか。うめきながら,自分の生活の中で叫びをあげながら,信仰というのは求めていかないといけません。順調に,ただきれい事の信仰を求めては,決して到達しません。また,なるはずもありません。私は今絶対失ってはいけないイエスというお方を信じているつもりです。でも,事情が変わるときに私はイエスを呼び続ける信仰を持っているだろうか。私はなんと答えて良いか分かりません。でも,今の時点で「イエスは誰よりも私にとって大事なお方である」という信仰告白をいたしたいと思います。

 今からミサの中で信仰告白があります。「私は救い主イエス・キリストを信じます」。これはどれほど大きな重みがある言葉になっているでしょう。私が尊敬する神父に,神学校に入ったときの院長だったチマッチという神父さんがいます。彼が倒れて,病床で人生の最後の時にもう何も言葉が出ないけれど,「イエズス,マリア」,イタリア語で「ジェス,マリア」と何度も,そしてこれしか言いませんでした。フランシスコ・ザビエルは,上川島(しゃんさんとう)で一人で死を迎えるとき,従僕の中国人のアントニオが聞いた言葉,それは「イエズス,マリア」でした。人生の最後に,一番最後に,この方しかいないと感じ取った,これが彼らの本当の信仰だったのです。これらの人々を見ますと,イエスというお方のために,ありとあらゆる苦労を受け入れたという特徴があります。振り返って私自身を見ますと,苦労を避けて良いところで,良い格好をしようという,逃げの姿勢がたくさんあることに気づいて参ります。逃げの姿勢を持っている限りにおいて,自分の人生の最後に「イエズス,マリア」と言うかどうか,はっきり分からないと言っても良いと思います。イエスだけを求めて無意識の中で愛する人の名前を呼び続けた,そのような情熱ある生き方が生涯続けてあったら,実にその最後にはイエスという名前を呼んで終わっていくのではないかなと思います。

 今日は女性の日です。子供を育てること。ご主人との間の苦労を過ごしたこと。それら全部を振り返って,ここに座っておられます。でも,そういったことを通しながら一本筋が通った生き方を学んだこと,それはイエスというお方を通してでしか,救いがないという一つの真理に到達したということではないかなと思います。ただ苦労するだけではだめです。苦労を通してイエスというお方に到達しないといけない。今から信仰宣言を唱えます。ここにおられる皆さん,「私は救い主イエス・キリストによって救われた」という,「イエス・キリストを信じます」という信仰告白をするときの,その重み,言葉の重み,誓いの重みこれを本当に考えながら,信仰宣言をするようにいたしましょう。

    ※司教様チェック済