佐々木光雄神父一年忌ミサ説教

2005年8月27日
  於:桜町教会

 自分の体験をお話ししたいと思います。
 私はサレジオ修道会で2期院長,そして1期管区長をしましたので,18年間長として仕事をしました。その間に20名以上の司祭達の最後を看取りました。まだ40代の院長であった私にとって,それらの人の死を看取っていったという経験は,自分を豊かにしたと考えております。

 管区長職最後に看取った神父の信仰をお話しさせて下さい。急に呼ばれて,彼が属している修道院に行きましたら,主治医から呼ばれ,あと3ヶ月の生命だということで「ガンの告知をしますか,しませんか」ということを言われました。どうしようかなと迷いました。そこに,スペイン人の神父が1人いたので,彼に「どうしようか」と聞いたら,「うん,ぼくもどうしようか考えている」という返事でした。30分間神様と話をして,2人で結論を出そうということで合意し,2人で聖堂に入りました。30分たってから,「神父さんどう思うか」と聞くと「管区長どう思うか」と聞き返してきました。「告知した方が良いと私は思う。神父だから自分の最後をきちんと伝えてあげた方が本当の意味で良いんじゃないか」と申しました。スペイン人の神父も「ぼくもそう思う」ということで,2人で寝室に伺い神父にその旨を告げました。「神父様はあと3ヶ月の生命で,修道院では何もできないので,一度病院に連れて行く」という話をしました。静脈瘤で足がふくれていましたので,スペイン人の神父はベッドの下の方で足をさすってあげていました。私はベッド脇でそれを言いました。神父は「わかった」と答え,「じゃあそうします。明日病院に移りますから」という話をしました。
 私はほかの修道院訪問があり,その夜は別の教会に泊まっていました。翌朝早く電話があり,その神父が属している修道院の院長が,日本人の院長でしたけど,私をしかりつけまして,「あなたは言うのが早すぎた。不賢明だった」とものすごく怒りました。「彼は昨晩一晩中吐いた。吐いて吐いて,そして泣いた。もう少し賢明にやるべきだった」と,いうことを言われました。私は非常に心外に思いましたが,先ほどのスペイン人の神父に電話して「こういうことなんだけど,すぐ行ってくれるか。神父さんに『管区長が心配している。もしも言うのが早すぎたなら申し訳ない』と言ったと伝えてくれ」と頼みました。すぐ行ってくれて,すぐに電話をよこしました。「心配しなくて良いよ。言ってくれて本当にうれしかった。言ってくれないでそのままだったら,自分は納得しなかっただろう。泣いたのは自分の弱さについて泣いたのであって,言われたから泣いた訳じゃない。」ということを言ってくれました。私はすぐ「人生最後の日々を司祭として捧げてください。」との手紙を書きました。
 ちょうどそのころ,サレジオ会の神学生が1人召命の道に迷っていました。私はその神父に手紙を書いて「こういう神学生がいるので,あなたの生命を全部彼のために捧げてくれ。」と頼みました。死というのは人のために捧げるためにあるからだと説明しました。すると,すぐスペイン人の神父を通して返事が来ました。「私の生命は,その神学生のために捧げます」ということでした。私はすぐにその神学生を呼びまして,「君のために生命を捧げようとしている神父がいるんだよ。自分の人生を考えてみろ。捧げる生命があるということ,自分の死を君のために捧げようとしている1人の神父がいること。君も人のために捧げることのできる生命があるということ」と説得しました。
 それから院内感染があり,病院でおれなくなり修道院に引き取りました。修道院で静かな日々を過ごしておりましたが,ある日の昼,私が昼ご飯後,彼の病室を訪れた時亡くなっていました。
 私が管区長としての一番最後の思い出になっております。私は,長として,亡くなっていく神父1人1人にお願いしたものです。「あなたの生命を,この神学生のために捧げてくれ」何人にお願いしたことでしょう。

 死とは,こういう事を考えさせてくれています。単に佐々木神父を思い出して,佐々木神父のためにお祈りするだけでなく,それ以上に「人のために生命を捧げて生きる」死があることを覚えさせるミサにしたいものです。死こそ,宗教の本質をしっかりと示すものです。
 偶有ではなく本質に切り込んでいく,これが宗教のあるべき姿です。死を前にして生きることの本当の意味を理解することが大切です。宗教の本質とは「生きる,死ぬ」この2つに集約されます。

    ※司教様チェック済