「いずみ」掲載の日本26聖人巡礼ウォーク紀行文

第1回(2001年7月306号掲載) ベロニカ記

 新しい世紀が明け,時は春,3月24日,土曜日,日本26聖人の苦しみの足跡を慕う巡礼ウォーク桜町隊は,午前8時30分,聖堂において司教様より祝福を受け,重い十字架を胸に第1歩を踏み出しました。
 この日の参加は5歳から55歳まで老若男女あわせて10名,まずは新幹線にて京都へと向かいました。折しも春休み始まったばかりの土曜日とあって結構な混雑。やっと確保した1席に順次代わり合って座るといううるわしい兄弟愛を発揮。今日1日の歩きに備え,座った人から早弁をかきこみ,時間の節約を心しました。
 京都に到着するや,早速巡礼の出発点とも言うべき,フランシスコ会修道院へと歩き始めました。春たけなわ,花粉もたけなわとあって,花粉症まっ盛りの私は目薬,マスク,等花粉グッズを装着したものものしい姿で古都を歩く次第となったのでした。
 修道院には,日本26聖人を偲ぶ多くの遺物が大切に保存され,また,隠れキリシタンの苦労や思いを語る品々も残されています。ルカ神父様がビデオを見せてくださり,ていねいに説明して下さるのを聞きながら,改めて,この日本にも熱い思いでイエズス様に従った誇るべき信者が古くから大勢おられた事を知り,自分もこの巡礼を通して,そのあとに続きたいとの気持ちがちろちろと,か細くながらも湧き始めたのを感じたのでした。
 親切なやさしい神父様に別れを告げ,ついでに揃いの記念Tシャツなど買って,その名もいわくありげな一条戻り橋の河原へと向かいました。
 その昔,この河原では何人もの処刑など行われたのでしょうか,大きな柳の木が植えられ,枝がぞろりと顔を撫でるようなところでした。この橋のたもとで全員ひっそりとではありますが,心を込めてロザリオの祈りを捧げました。
 そして,いよいよ本格的に歩き始めました。26聖人に関する資料の地図に従い,忠実に道をたどります。京都の古い家並みが続く中,通りの名前や町名にも歴史のにおいが漂います。途中に西陣教会があり,立ち寄って見たものの,鍵がかかっていて,外から覗くようにして写真だけ撮って立ち去りました。また,いろんな古い店があり,めずらしい物が売っていて,吸いこまれるように入っていったりして・・・
 皆黙々と歩きます。それぞれ胸のうちではいろんな思いが去来していたことでしょう。まさに巡礼です。
 そうして,五條烏丸交差点に着き,今回はここまでにしょうと相談がまとまり,写真をとって,第1回の終点となりました。
 何とそのころ,かの芸予地震が四国一帯を襲い,無人のわが家も大揺れしていたとは,後で知ってゾッとしたものです。おかげで帰りのJRは大幅に遅れ,夜遅く10時半ころやっとの思いで家に帰り着いたという次第でありました。
第2回(2001年7月306号掲載) ルチア記

 5月26日(土)。すばらしい天候に恵まれ,私は,26聖人巡礼ウォークに参加した。今回の道のりは五条→伏見街道までであった。
 26聖人の辿った道のりを歩いていくにつれ聖人1人1人の顔が浮かんでくるようであった。京都から長崎まで,何と遠い道のりであったことだろう。ここまで彼らに勇気を与えたのは何なのだろうか。おそらくそれは,神様への絶対的な信頼と,神の許に行けるという限りない喜びであったろうと思う。私はこの巡礼に参加して,聖人達の神様に対する尊敬や彼らの勇気を感じ取ることができた。
 途中,伏見カトリック教会に立ち寄り,ロザリオ一連を唱えて旅の安全を感謝し,26聖人の御加護を願った。
 この旅が,26聖人の御加護によって成功し,無事長崎へたどり着けるように,これからも是非参加していきたいと思う。
第3回第4回第5回

はじめに
 夜の大阪・新世界。電飾鮮やかな通天閣を一望できる,とあるふぐ料理屋で,ビール片手にふぐのたたきをつまみながら,O浦氏が切り出した。
「これ,美味しいわ。ところで『いずみ』の原稿,誰か書かない?今回は,第3回からまとめて3回分なんだけど。ハイ皆勤の人?!」ふぐの天ぷらをほおばっていた私のあごの動きが一瞬止まった。
「それって,私?」
そのような訳で3回分を一挙にお届けすることとなりました。昨日夕飯に何を食べたかさえ覚えていない私が,5ヶ月近くも前のことをうまく皆さんにお伝えできるかどうか,少々心配ですが……。
第3回(2001年12月307号掲載) マリア・ピエタ記

墨染〜御殿山編
 7月下旬。我々一行は昼間の暑さを避け,一泊がかりの巡礼を行った。京の町を出発し,やっと大阪府に入る,初の県境越えを体験することとなる。
 盛夏へと向かう京阪沿線のアスファルトは,もう日が傾いている時刻だったにもかかわらず,蓄えていた熱気をジリジリと発散させていた。さらに立ち上ったその熱気はむらむらと空気をかきまわし,ゆらゆらと行く手を揺るがせた。
 「暑い。」それ以上何も考えられずに,ただ黙々と歩いた。八百屋の店先を過ぎ,和菓子屋の店先をチラリと横目で見やり,竹垣を作る工場の前を通り,下町のにおいを嗅いだ。
 下町はいつのまにか疎水の緑地帯へ,さらに大きな宇治川へと姿を変えていた。宇治川は広大な萱原にはさまれ,沿道には工場や倉庫,廃棄物処理工場などがポツリポツリと立ち,全く人気が感じられない。こんな道を「引き廻し」してもあまり意味がないのでは,などと思ってみるが,資料によるとどうやら舟は使っていないようである。時の流れが街の様子をすっかり変えてしまったのだろうか。ただ,川風と萱原の緑色は,我々の疲れをひととき癒してくれた。
 やがて一行は宇治,木津,桂川の合流点,淀川の出発点を通過し,石清水八幡宮のある八幡市に到着した。かつては賑わっていたであろう石清水も何かしらもの淋しげで,カトリック八幡教会も留守中であった。ここで我々は1日目の巡礼を終えることにし,薄暮の八幡市を後に,その夜の宿へと向かった。翌朝早く八幡市を歩き始めた。早朝とは言え昨日の暑さが残る中,我々は再び京街道をたどった。旧街道ゆえに,時折見応えのある建物に出会う。石清水の参拝客が帰りに遊んでいったのであろうか,2階の欄干に見事な細工をほどこした木造の古い宿屋が2〜3軒並んだ一角があり,しばし,当時の賑わいを想像することができた。
 そんな街並みも,やがて住宅地へ,さらに青田へと風景が変わり,再び住宅地へとさしかかった頃,ついに我々一行は初の県境越えを果たした。やっと,大阪府に入った!しかし大阪市はなお遠い。また歩き始めた。楠葉の住宅地を抜け,そして歩くにはあまり楽しくない車の往来の激しい幹線道路沿いを,ひたすら歩いた。暑さと空気の悪さがどっと体を重くさせた。枚方の一歩手前の御殿山で第3回の巡礼を終わりにした。枚方教会でごミサにあずかり,我々一行は高松への帰路に就いた。帰りの車中での記憶は全くない。みな爆睡状態であったらしい。
第4回(2001年12月307号掲載) マリア・ピエタ記

御殿山から寝屋川編
 9月下旬,我々一行は高速バスで大阪へと向かった。前回の終点御殿山を出発し,枚方市を通り,寝屋川まで約8qを歩く。大阪市がかなり近づいてきた。

 残暑がまだ厳しい幹線道路沿いを歩き始めた。帽子とサングラスを忘れてきたことを後悔した。乾いた熱気を吐きながら,自動車が途絶えることなく我々の脇をすり抜けて行った。殺風景な道路沿いをしばらく歩くと,枚方市街に到着した。枚方はかつては大きな宿場街だったこともあり,京街道を歴史街道として一部保存し,大きな船宿を資料館にして一般に公開していた。マリア観音もあったようだが,残念ながら見ることはできなかった。が,しばし時間旅行を楽しめた。
 やがて道は淀川の土手へと続き,我々一行は心地よい川風を受けながら川土手を歩いた。広大な淀の川原は美しく整備され,大阪の人々の憩いの場として利用されていた。キャッチボールをしている家族や楽器を演奏している人など,みな思いのままに休日を楽しんでいた。平和だな,とふと思った。
 帰りのバスまで時間がない!慣れない梅田の街中を,人波をかきわけながら心臓が爆発しそうなほど,走った,走った,走った!定刻キッカリに我々は到着し,何とかバスに乗り込み,高松へと帰路に就いた。やはりバスの中での記憶は何もない。爆睡状態だった。
第5回(2002年4月308号掲載) マリア・ピエタ記

 晩秋の空はどこまでも高く深く,街路樹は葉を落とす前の最後の装いをあざやかに競っていた。11月下旬,我々一行は一泊二日で寝屋川から大阪市中心部,京街道の終点京橋を通過し,さらに熊野街道,紀州街道を経て,堺へと巡礼の歩を進めた。
 門真教会に車を置き,レクンベリ神父様に挨拶をし,前回の終点地であり今回の出発地である淀川河川敷へと向かった。のどかな秋の連休をみな思い思いに楽しむ様子は,前回9月の時と相変わらずで,「今この瞬間は平和だな。」と前と同じことを思えることに感謝しつつ,前回と今回の巡礼が混ざり合ったような時間の錯乱を感じた。一行は,大阪の中心部へと歩み続けた。今市教会に立ち寄り,薄暮の中,日本26聖人殉教者に捧げられた関目教会を訪問した。井上神父様は静かで温厚なお人柄で,手作りの温かいぜんざいで我々をもてなしてくださった。お尻から根っこが生えそうな思いと闘いつつ関目教会を発ったときには,もうかなり暗くなっていたが,さらにもう少し先の一日目の目的地である京阪京橋駅まで歩き,そこで巡礼を終えた。宿に入る前に,大阪教区カテドラル玉造教会を訪問し,有馬神父様に教会内を案内していただき,堂本印象画「栄光のマリア」を拝見した。その夜の宿はJR新今宮駅そば,一泊2500円のホテルS。(ここで,いずみ前回号『26聖人巡礼ウォークBC』冒頭に戻る。)
 さて2日目朝。仕事を求めてさまようおっちゃんたちの流れと逆行し,我々は前の晩の終点地京阪京橋駅を目指した。大阪の女子高生を観察しながら朝食を済ませ,また巡礼の歩みを始めた。京街道終点京橋を渡り,大阪城を左手に見ながら,お堀沿いの歩道に降り積もった落ち葉を踏みしめた。いつしか道は熊野街道へと変わり,日本最古の仏教寺院四天王寺の門前町を通り,混雑した人混みの中,浪花のエネルギー・アジアのエネルギーを感じながら歩んだ。26聖人というこの世に生きていない人を思うよりも,今,ここに生きている人ひとりひとりの生活の営みを肌に感じ,強烈かつ圧倒的な力に元気をもらい奮い立つ思いだった。
 熊野街道は帝塚山の住宅街を通り,大きな川を渡り,ついに今回の目的地,堺市に入った。堺市は想像していたよりも,閑とした街で往時の栄華はあまり感じられなかった。自分が疲れていたのかもしれないが・・・。堺教会では素朴な印象の高畠神父様に出会い,今回も無事,巡礼を終えたことを感謝し,しばし祈った。
 第5回巡礼ウォークでは,それぞれの思いを抱いて生きている人たちの行き交う大阪の街を,自らの足を使って歩くことにより,何ものをも包み込む大きな力の中に私たちひとりひとりが生きており,また,その力によって生かされているということを再認識した。歩くことはいろいろな物事を再発見させてくれる。あなたも参加しませんか?
第6回(2002年6月309号掲載) アロイジオ記

 前回,次男の喘息でお休みしたので,久しぶりの参加となりました。今日は大阪の街中から川を渡って兵庫県へと歩きます。
 出発点は大阪城近くの中大江公園。バスの都合で先発したお姉さんたち,前日一足早く大阪入りして「前回歩けなかった分の京橋〜堺」を一人で巡礼した!!おじさんと合流します。まだ街が動き出す前の時間で人出もそれほどありません。記念撮影して出発です。
 何キロも歩かない内に転倒して足を痛めてしまいブツブツ言いながらとぼとぼと歩きます。梅田付近でちょうどお昼となり昼食をとり「おー野菜を先に食べた」とほめられて親子共々調子に乗って再出発です。
 疲れたとかなんとか言いながら,最初の川,淀川の川岸にでました。このころ小雨がぱらぱらと。川の上は風が強いのでマフラーをしっかりと巻き,フードをかぶってよたよたと歩きます。大きな川です。大人だけならあっという間ですが,子供の歩幅の狭いこと狭いこと,なかなか前に進みません。がんばれがんばれ。みなさんに向こう岸で待ってもらって何とかわたり終えました。しばらく歩くとなんだか急に元気が出てきて,意味もなくダーーッシュしたり,なにやらおちつきません。(ダッシュしたらあとで疲れるっちゅうの,ペース配分を考えてほしいなぁ)。しばらくすると案の定「もう歩けーーん」とぐずりだしました。それを,子育ての大先輩にうまいこと助けてもらったり,チョコレートを支給してもらいながらなんとかがんばって(感謝感謝)再び川岸にでました。この川を渡ると兵庫県だ。あっ,道路端で本日何度目かのおしっこしている間にみんな行ってしまった。がんばれがんばれ,急ぐのだ。あれっ橋の真ん中でみんな立ち止まっているぞ。「疲れた」を連発する長男を人任せにして父は現場へ急ぎます。
 そこには県境の印がありました。ここでも記念撮影してさらに進もうという橋の上で長男ついにダウン,とうとう動かなくなってしまいました。「仕方ない今日はここまでか」と思いつつおんぶ開始。あれぇ父も右足首が妙に痛いぞ。これは大変親子でリタイアか…しかし何とか踏ん張り,ときどき休みながらみんなの姿が見える距離を保ちつつ歩きます。今日の最終地点は決まっていませんが,尼崎教会におじゃますることになっています。もう少しもう少し。
 なんとかかんとか最終地点と決定された公園までついていくことができました。ここから尼崎教会までは目と鼻の先これで一安心。と思ったのが間違いで,教会がなかなかみつからず,ずいぶん歩き回りました。父は足首が痛くておんぶすることができず,交代してもらってなんとか無事に尼崎教会にたどり着きました。教会でロザリオを一連,オマリー神父様と記念撮影をして,次は駅まで急ぎます。
 帰りのバスは決まっています。間に合う電車まであと数分みんな最後の力を振り絞り駅前を走ってなんとか間に合いました。今回は本当によく歩きました。次回もがんばろう。 (しかし第7回は再び次男の喘息で参加できませんでした。残念)
第7回


第8回(2002年10月310号掲載) アシジのフランシスコ記

 今回は夙川から大石までの行程です。時期は6月上旬ですので記憶の隅から引き出すようにして,この文を書いております。当日は,4ヶ月後の今に思い出すこともできない程の暑い日でした。朝早い高速バスで三宮に向かいそこからスタート地点まで行きましたが,私は前回の巡礼に参加していませんでしたので初めて訪れた場所でした。
 午前10時半頃,私達は西国街道を歩き始めました。歩を進め,昼を少し回った頃,今回の主要目的地である芦屋教会に到着しました。教会の建物は桜町教会とほとんど同じ形です。教会は綺麗な川に面して建っており,綺麗な景色の主役となっているようです。川には花崗岩の風化した白っぽいマサ土が多く堆積しているため,砂浜の様な明るい印象でした。泥の多い詰田川とは少し趣が異なる様です。翌日はバザーとのことで,何人もの信者さん達がケーキを焼いたり,衣類を整理するのに,お忙しい様子でした。中野神父様に挨拶したところ,信者さん達に紹介していただき,暖かく歓迎していただきました。美味しいケーキをいただき,その後の行程にも励みがついた様です。
 芦屋教会を出発した後は,住吉大社を過ぎ,白鶴酒造記念館を横目で見ながら阪神大石駅まで無事たどり着くことができました。振り返ると,この回のナビゲーターはほとんどの区間で,私がさせていただきました。この辺りは道々に歴史を偲ばせる石碑やお地蔵さんが見ることができ,コースが正しい事を確認しながら進むことができます。参勤交代の頃の主要道ですから遺跡が多いのも当然でしょう。中には高さ1.5m程の祠に入った首だけのお地蔵さんという珍しいものもありました。
 未知のコースを地図だけをたよりに歩くことは,オリエンテーリングの様でとても楽しいものです。しかも,コースが設定されたのは参勤交代以前ということを考えるとロマンすら感じてしまいます。26聖人が歩いた状況と,我々の環境とでは大きくことなるかもしれませんが,ほんの少しだけ彼らの歩いた時代が見えたような気がしました。
第9回(2002年10月310号掲載) ヨハネ記

 7月20日(土)日本26聖人巡礼ウォークに参加,神戸市灘区の大石駅から長田区の鷹取教会まで約13qを歩きました。
 今回の参加者は11人,朝7時半,教会バスに乗り込み桜町教会を出発。目的地までの移動はO浦さんの運転と,前列に陣取った皆さんのナビにお任せし,お喋りや居眠りの繰り返し。ああ何と楽ちん。
 車窓から,ボーッと外を眺ていると,ふと「なぜ今私はこにいるの?」という思いがよぎります。「そうか,あれがあったからだ。」,“あれ”とは何?
 実は,私は今回が前回に続いて2回目の参加となりますが,前回,初めての参加ということで,司教様の十字架を持ち一緒に歩くという役を頂きました。この役,今回のスタート地点で別の参加者に引き継ぐまで続くのだということで,今回は是非とも参加する必要があったのでした。
 ウォーク参加の誘いに,「お試し」のような軽い気持ちで参加した私でしたが,このようにして巡礼ウォークグループのメンバーに取り込まれたのでした。(一部フィクションです。)
 くだらないことを考えているうちに,バスは目的地,鷹取教会に到着しました。
 鷹取教会は,大震災後に建てられた仮設の聖堂が紙の材料で作られていたことやヘルメットを被ったイエス像で知られていますが,「鷹取救援基地」というもう一つの顔がありました。周辺の家々は皆すっかり新しく建て換わっていましたが,教会の敷地内は,ひびが入り傾いた司祭館やプレハブの建物が今もそのまま使われており,この場所で震災の被災者支援のための多くの活動がなされたのだということが偲ばれ,感慨深いでした。
 前置きがとっても長くなりましたが,仮設聖堂でロザリオを唱えた後,電車を乗り継いで,今回の出発地大石駅へ移動,やっとウォークの始まりです。
 夏真っ最中,ウォークは暑さと渇きとの戦いでした(少し大げさ)。家から持参したペットボトルの麦茶は,あっという間に飲み干してしまい,歩く目標は飲料水の自動販売機,ポケットの小銭が相談相手となり,ひたすら神戸の市街地を西へ西へと歩くのでした。
 “まだ半分も歩いてないのに,もう限界”,と思ったその時,「昼食にしよう」の声。“助かった”。
 各自それぞれに昼食,束の間のオアシスを楽しんだ後,決めれた場所に集合。周辺のビルを眺めると,そこは前回のウォークの終着予定地,三宮駅前でした。たくさん歩いた割にはあまり前へ進んでいない事に沈む気持ちを取り直し,さあ午後の出発です。
 午後は途中,神戸中央教会(旧中山手教会)に立ち寄り,ロザリオの祈りと記念写真撮影をしました。
 この教会は,1999年,下山手,中山手,灘の3つの教会が一つとなり発足したとのことでしたが,聖堂はなく,幼稚園の講堂が聖堂代わりとなっていました。翌日が教会バザーということで,信者の皆さんが忙しそうに動いておられました。施設は不十分でも,元気よく生き生きと作業されている姿に,災害から街を復興させた人たちの力強さを感じました。
 さて,相変わらずの暑さの中,元気な先導隊の後について,適当にお喋りなどをし,どこを歩いているのかなど特に気にも留めることなく歩いて数時間,さすがに夕方が近くなると,いつになったら目的地に着くのか気にかかってくるのでした。
 気が付いたら見覚えのある町並み,そう鷹取の町です。バンザイ。暑くて長い1日が終わりました。
 いや,失礼しました。これからが運転手さんの一仕事,流れるようなドライビングテクニックで快調に疾走,予定どおり無事に高松に到着したのでした。
 お疲れさまでした。
第10回(2003年1月311号掲載) ペトロ記

 この巡礼も今回で10回目となった。メンバーの総員数は16名となったが2ヶ月ごとに行われる巡礼の参加者数は毎回変わる。仕事や都合,体調のせいで致し方ない。熱心な人(向きになる人?)は間で補習授業を誘い合って行っている。今回は立ち寄った教会でいうと神戸の垂水,六甲,明石の3教会,歩行全行程23km程度であったろうか。もちろんこの距離を高松からの日帰りでは無理である。途中,某氏の某所で一泊したのであるが,それは後ほど一部を垣間見て頂くこととして,順を追ってお話ししたい。
 5月の巡礼に参加できなかった補習授業を3名で7月に行ったときのニュースとしては,夙川教会で以前,桜町教会にも在籍されていたDさんにお会いしたことである。9時半のミサで後ろの方にいたにもかかわらず主任の○○神父様が目ざとく私たちを見つけられてミサの祝福時に教会の皆に紹介されたので,「今朝,高松を出て長崎まで巡礼に行く途中に寄りました」と答えた。彼女は聖堂の前方で聖歌隊員として歌っておられ,ミサ後「よく聞こえなかったけれど,桜町とか聞こえたので」と私たちのそばまで来て下さり,私の変わり果てた髪とO浦Y樹の額に暫く視線がくぎ付けられた様子であったが,どうにか思い出して頂いた。Y樹には「まぁ,お父様にそっくりで」との有難いお言葉まで頂戴した。会館でコーヒーをご馳走になりながら30分くらい話して出発した。天からのプレゼントであった。
 さて今回9月28,29日の巡礼は11名で,司教様ご名代の金の十字架を初参加の和泉さんが胸に掛けてくれた。巡礼の原則は順路の近くにある教会にはなるべく立ち寄って聖体訪問をしよう,歩きながら銘々が勝手にロザリオ一環を唱えよう,である。ある人は頼まれもしていない意向で誰かのために祈っていることもある。朝7時過ぎ,一昨日からの雨が夜半まで降り続いていたので,皆は傘とカッパをリュックに詰めて教会に集まった。H川が「インターネット情報によればスポット的に晴れるそうですよ」と言う。2台の車に分乗して出発し,明石大橋の見えるサービスエリアに立ち寄った。するとまさに我々が向かわんとする神戸の上空だけが青空になっているのが見えた。明石大橋を渡って右側へ曲がり垂水教会に立ち寄ることとした。街はすでに混み合っており,O川のアイデアで車をダイエーの駐車場に置き巡礼に入った。406年前に26聖人の通られた道が今も残っており,それがどれかを克明に調べてくれた人がおり,現在の地図に赤鉛筆で書き込まれている。
 この感動は歩いてみて,地図と道をわが目で確かめて初めて分る。これまで道沿いには伏水(伏見)街道,京街道,熊野街道,中国街道などと書かれた石の道標があった。それが目印と確認とになって今度は山陽道である。一年生になったかおるは待望のラーメンが今回は食べられなかったが,よく歩いた。そしてとうとう明石大橋を横切ることができた。「疲れた,疲れた」と言っていたが一行の中で一番のりで通過した。次回の巡礼からは橋を越えて車は左に折れて進むことになる。我々も1つの峠を越えたなと感じながら記念写真を撮り,暫く行ったところで一日目の巡礼を終えた。「そこからダイエーまで帰るのはどうするんだろう」と心配して下さった方はぜひ次回には一緒に行きましょう。有難いことに26聖人の道沿いはJR,山陽電鉄が並行してくれているのです。O崎さんの友人,Iさんは洗礼を受けていないけれど初回から参加している方ですが,ここからは友達の所へとの事でお別れしました。
 ダイエーではウン千円以上お買い上げの方は駐車料金割引の注意書きに酎杯を10本程とおつまみを10袋ほど買って車に乗り込み六甲教会に向かった。教会に着くと,折りしも子供たちばかりのミサが捧げられており,その中に桜町教会のT中R平氏を発見し,偶然かつ奇蹟的に出会った事を喜び合った。さてここからは約束によりフィクションになります。
 氏は六甲山の裏側に竜宮城があるが行って見ないかと誘ってくれた。亀を助けた覚えはなかったが全員厚かましくも悦んで付いて行くことにした。途中,山の下に潜る道が分らず2,3度ぐるぐる回ったが,やがて見つかり一時間ほども走って竜宮城に着いた。竜宮城では乙姫様とご亭主が一緒に門框まで出迎えてくれた。一行は遠慮なく城に上がり用意されていたご馳走に歓声をあげた。沖縄には海葡萄という特産の海藻があるが,六甲の竜宮には鯛や平目は言うに及ばず,海牛,海松茸,海海老などが並び,果ては海ワインまでがあった。地上では味わうことの出来ない絶品であった。
 翌朝,海カプチーノと海クロワッサンを頂き8時には地上の明石教会を目指して出発した。途中まで浦島R平さんが送って下さり,「次回も良ければお立ち寄り下さい」といいながら皆に玉手箱をくれた。明石教会につくとその日は信徒総会ということで大勢おられた。ミサまで少し時間があったので,主任神父様にご挨拶をしようとお会いしてみて驚いた。以前,丸亀教会におられたセグーラ神父様である。暫くしてミサが始まり神父様は皆に我々を紹介して下さるとともに,共同祈願では一行の無事を祈って下さった。ミサ後,暫く教会の方たちとコーヒーブレイクしたのち車を教会に置かせてもらって出発した。ここで一行のうちH川家は法事で高松へ向かった。残った7人は電車で今日の出発地点まで行き,そこから歩いた,歩いた。明石駅を越えた頃から皆の足取りが重くなったので,次回の段取りを考えて駅を選び,電車に乗った。300円そこそこで一日分の歩行距離を戻り,明石教会につくと信徒総会は終わっていたが,我々が帰るのを見て立ち上がって見送ってくださった美しいご婦人がおられた。天女のように見えた。運転には十分注意をしながら無高松,桜町教会に着いた。
  追伸 帰宅して風呂に入り体重計に乗って驚いた。竜宮城でのご馳走がそのまま上乗せになっていた。開けてはならないたまげ箱であった。
第11回(2003年6月312号掲載) ペトロ記全行程は9

2002年11月23日(土)
 空は雲ひとつない晴天である。午前8時,総勢11名はマイクロバスに乗って桜町教会を出発した。明石大橋を渡って一路前回終着地点のJR大久保駅を目指す。駅近くのパーキングに車を放り込んでいよいよ出発。司教様の十字架はN越さんが受け持つ。ナビゲーター役のO川さんを先頭に歩き始める。大久保から魚住,平岡町を通り抜けて行く。初日の午前中ということもあって一行の足取りも軽い。銘々の意向を持って祈りながら,或いは話しながら,或いは黙々と歩いていく。やがて明石市から加古川市に入り,ジャスコの1Fで昼食休憩。一息入れて出発。加古川市内を進む。時間の経過とともに列は長く延び,先頭と最後尾の問は開いていく。各人の足取りもばらついてくる。車の往来もかなりあって注意しなければならない。休憩を適宜入れながら進んで行く。道はJR東加古川駅を過ぎてしばらくいったところでルート未確定の箇所に入り,二手に分かれて進行する。加古川橋で合流し記念撮影。加古川を渡って,本日の目的地点であるJR宝殿駅に向かう。約17qの行程を無事終了して午後4時JR宝殿駅着,記念撮影。残念ながらN越さん,O川さんのお二人は所用のため,ここで今回の巡礼から離れることとなる。二人を見送って,我々は出発地のJR大久保駅にとって返し,車に乗り込んで北に向かう。
 さてここからは前回報告同様約束によりフィクションになります。今晩の宿を求めて車を走らせていた我々は,社で不思議な老人,浦島R平翁に再会したのであります。翁は再会をいたく喜び,竜宮城に再度我々を招いてくれた。前回開けてはならない玉手箱を開けて体重を大幅に増加させた我々であったが,ご馳走の前には反省などすっかり忘れてしまい性懲りもなくお招きにあずかることとなった。竜宮暦は1ヶ月早いいうことで,竜宮城は丁度クリスマスシーズンに当たっていた。竜宮はイルミネーションに彩られ,クリスマスソングの流れる中,海蟹・海海老・海牡蠣の鍋が並べられ,チリ国の海赤ワインなどが振る舞われたのであります。この世とは思われぬ美味に舌鼓を打ちながら,夢のような一夜を過ごした。翌朝はいつものようにみんなに玉手箱をくださり,社まで翁が見送ってくださった。我々みんな翁に感謝して,お別れしたのでありました。
11月24日(日)
 午前9時30分,加古川教会のミサにあずかる。加古川教会は4〜5年前に建て替えられたということであったが,まず正面玄関の自動ドアと聖堂壁面一杯の大きさのパイプオルガンに驚かされた。ミサ司式は,主任司祭のさかばやし功神父様。桜町教会の典礼研修会講師でお馴染みの方である。ミサ後,神父様にご挨拶し,記念に一緒に写真に入っていただく。加古川教会を後にして,車で昨日終着地点のJR宝殿駅に向かい,二日目の出発となる。道は昨日の国道沿いから少しはずれて旧街道に入っていく。土塀の街並みが出てきたりして昔ながらの旧街道の風情も少しうかがえてくる。道路計画で作られた直線道路と違って少しずつ折れ曲がっていくのがいい。ただ,足の方は二日目ということもあって相当くたびれてきている。歩いていくうちに加古川市から高砂市に入る。カレー屋とラーメン店をみつけたので別れて昼食をとる。市内といっても田舎道であり,食べられるときに食べないと後で泣きをみるのである。これは熊野街道を堺に向かっていたときの体験である。案の定,その後しばらくは食堂らしきものに出会わなかった。西国街道をしばらく進んで行くうちに阿弥陀町阿弥陀という何とも有り難そうな地名に出会う。「ここに教会が建ったら,やはりカトリック阿弥陀教会というのかな?」などと愚にもつかないことを考える。だんだんと足が疲れてくる。みんなの足取りも重そうだ。なんとかあと一頑張りして今回の目的地点であるJR御着駅にたどりつく。約9qの今日の行程を無事終了した。JR宝殿駅迄帰り,車をとって一路高松へ。18時桜町教会着。感謝の祈りをささげて解散した。
 さて,翁からいただいた玉手箱はその後どうなったかって?
 う〜ん,自らの現状を深く憂い前回の教訓を生かして固く封印された方もおられるだろうし,無意識に開けてしまってご馳走がしっかり身についてしまった方もおられるだろうし,そのあたりはなんとも申し上げられません。勇気ある方は,直接メンバーにお聞きになってみてください。えッ!聞かなくても見ればわかるって…
第12回(2003年6月312号掲載) ビアンネ記

 まだ寒さの残る2月の事,初めて巡礼WALKに参加した。きっかけは親にいわれたからだったので今一「乗り気」ではなかった気もする。しかし自分自身いろいろな悩み事があり,自身の生き方に暗中模索していたので,何か見えるかも,と思い参加した。
 朝早くに家を出て皆と合流して前回の終着地点までJR等を使って行った。そして俺の記念すべき第1歩となった。その時O浦さんより司教様の十字架と地図を渡された。ずっしりとした十字架だった。少しためらいつつもそれを首にかけてもらい,いよいよスタートした。道中は個々で祈ったりロザリオを唱えるようだ。おかげで自分の好きな時に祈ったり出来るのがありがたかった。とは言うものの初めての道を地図を見ながら先頭をきって,かつ後ろを見ながら行くのであまり余裕がなかった。
 途中姫路教会に寄りしばしの休息をとった。近くのアパートに登り姫路城の全景も見た。カンカン照りではなかったので快適に歩く事が出来た。国道を渡ったり路地裏を通ったり,河の土手を歩いたりした。少し小雨が振り始めた事もあり,予定の少し手前で今回の巡礼を終えた。
 最初は余裕がなかったが,司教様と一緒に地図を見ながら・・・という一つの目的が出来,それをクリアした事で心の中の靄が少し晴れた気がする。・・もう少し続けてみたい。
第13回(2003年8月313号掲載) ペトロ記

 2003年3月22日(土)〜23日(日)第13回巡礼記である。実はこの回はO浦氏が担当することになっていたのであるが,ご承知のようにO浦氏は宿題を果たさぬまま,6月13日駆け足で天国に行ってしまった。そういうわけで,急遽私にお鉢が回ってきたのであるが,なにしろ5ヶ月近くも前のことなのでうまくお伝えできるか不安である。
 1日目。高松を出発した時はあいにくの雨であったが,瀬戸自動車道を通って姫路に着く頃には幸いにも雨は上がった。姫路駅前のパーキングに車を入れてバスで前回中継地点の夢前川に向かう。夢前橋袂から巡礼者8名で出発。青山から山田峠へ。峠越えをしていると鶯の大きな鳴き声に出会う。こういう出会いは巡礼をしていて良かったと思える瞬間である。しばらく鶯とお付き合いしながら峠を下り,太子町に出る。太子町マルナカ前のラーメン店で昼食。午後,太子町から龍野市へ。このあたりは「きびなごのくぎ煮」が名物で購入するメンバーもいた。揖保川を越えたあたりから胸突き八丁にかかる。相生市に入り,やっと終着点であるJR相生駅に辿り着いて,本日の約18キロの長丁場を終了した。JR相生駅から姫路に取って返し,車で網干教会へ。一同カンバラ神父様との再会を喜ぶ。いつ出会っても優しい方である。神父様に案内された「ぽかぽか温泉」で汗を流した後,食事を共にしながら思い出話やら近況を楽しく語り合った。網干教会泊。
 2日目。朝食の後,カンバラ神父様に相生教会まで送っていただく。一同感謝のうちにカンバラ神父様とお別れする。相生教会でM宅さんと合流し,ミサにあずかる。フィリピン人の若い神父様が司式された。お茶のご接待を受けて,巡礼者9名でJR相生駅より昨日の続きにかかる。西国街道をしばらく行ったところでI塚さんの訃報に接し,ご冥福を祈る。昼食の後,道は赤穂市に入り,トラックが猛スピードで走る2号線を飛ばされないように注意しながら,なんとか目的地のJR有年(うね)駅着。約8キロの行程を無事達成することができた。17時桜町教会着。感謝の祈りを捧げて解散する。
 とりあえず2日間の道程を簡単に追ったが,やはり最後にこの巡礼を最初から支えてくれたO浦氏のことに触れざるを得ない。この巡礼の計画が発案者たるN越氏の口から発せられたのは,確か2000年12月23日のクリスマス・オラトリオの打ち上げの時ではなかったかと思われる。出席していたメンバーの多くが賛同。2000年のうちに出発地を訪問したいとのN越氏の意向のもとに5日後の12月28日にはN越・O浦・T田3名で京都行きを決行,フランシスコの家から一条戻り橋まで現地調査をすることになる。翌2001年3月24日,第1回巡礼WALKを立ち上げ今日に至っているが,この間実質的にこの巡礼を企画・運営してきたのはO浦氏であった。資料の収集・読み込み,日程・ルートの確定,訪問教会への連絡,メンバーへの連絡・手配,車の運転等様々な面で我々を支え,引っ張っていってくれたのである。我々は今,彼を失ってその有難味をしみじみ感じ入っているところである。個人的には,この数年彼とずいぶん多くの時間を共有してきて,教えられるところが多かった。一方で,不可思議なところもあり,謎を残したまま旅立っていったという感もある。長崎への道は,私にとってはその謎を考える旅でもある。いずれにしても途上で倒れた彼の遺志を継いで,最後までなんとか全うしたいという思いはある。目的地の長崎は,O浦氏が小神学校時代(中学・高校)を過ごした思い出の土地である。もちろん,26聖人の殉教地であり,日本の教会の故郷でもある。京都から始まった旅は,現在岡山県に入ったばかりで長崎までの道のりは遠いが,巡礼の一歩一歩は──たとえ疲れた重い足取りであっても──確実に目的地に近づいている。同じように日常の時間も──たとえ砂を噛むような時間でさえも──確かに一歩一歩死と復活に向かっている。巡礼者にとって,死と復活は長崎がそこにあるということと同じく確実なものである。だからこそ巡礼者は安心して一歩を踏み出すことができる。ならば,すでに日常と非日常は互いに表裏をなして支え合い,この世を過ぎ越している。ここに長崎への道は長崎をはるかに越えて我々の心のふるさとガリラヤに通じている。そうであれば,この道を歩んでいる限り,彼との時間の共有は終わったわけではない。
第14回(2003年11月314号掲載) マリア・インマクラーダ記

 今回はJR有年駅から出発。歩き始めてまもなく,「どこいくの?」のおじさん達の声に後隊のメンバーがつかまってしまった。お葬式で地域のおじさん達が集まっていたのだ。三階建ての火の見やぐらがあるとか,マツタケが採れるとか,尼子一族の出城だとか,山中鹿之助・聖徳太子・・・次々と歴史上の人物の名前が出てくる。極めつけは,100余りの円形古墳がある,ありなし山。これにはこころを動かされそうになったが,丁度その時痺れを切らした,前を歩いているメンバーに携帯で急かされた。気のいいおじさん達に別れを告げる。
 途中で食事できるところがないかもしれないので,最初に見つけたドライブイン「ちぐさ川」で食事をする。腹ごしらえをして軽快に歩き始める。2ヶ月に1回の割では,歩きのペースをつかむのに少し時間がかかる。丁度いい具合に江戸時代の宿場跡がある。巡礼ウォークとは言え,旧街道を歩く場合には,こういう所があるのが魅力だ。山陽道をひたすら歩く。途中土道を通る。年輪を感じさせる杉木立の間から吹いてくる風が心地よい。一里塚・平安時代の遺跡跡・鎌倉時代の五輪塔。歴史の宝庫と見受ける。大きな旧家がある。参勤交代の時に大名が休憩したそうだ。
 順調に歩いていたが,有年峠に向かう所で,農作業をしているおばちゃんに聞くと,「山の中に入ると道がなくなるよ」との返事。迂回して国道2号線の鯰峠越えをする事になった。狭い歩道があるだけの所は「怖い!!」排気ガスもすごい!アルカイダに間違われそうな格好になっているM嬢!皆,排気ガス吸わない様に無言で歩いている。やっと,迂回前の道を歩いたらここに出ると言う場所に着いた。やっぱり,田んぼと畑を見ながらの道はホッとする。トンネルの上を通り,船坂峠に着く。兵庫県と岡山県の境だ。時の止まったような湿った山の空気が印象的。今回は峠越えが二つあったが,遠回りとなったため全部で約15qを歩く。神社で終わり。JR三石駅は階段がきつい。年上のA氏に手を引いてもらう。
 しかし,肉眼で見えるやっくんとの巡礼がこれで終わりになるとは!「26聖人の歩いた道を歩きたいと思うとんやけどな」私の一言を受け止めて,資料集め・先導・配車・泊りの手配。何から何まで・・・! やっくん,ありがとう!最後の長崎の西坂までしっかり先導してくれると信じている!これからも頼むで!
第15回(2003年8月313号掲載) マリア記

 2003年7月21日(月)
 初参加。6月に長崎の日本26聖人記念館に行ったことが,参加しようと思った動機かも知れない。   
 まかれて みのり みのって 刈られ 麦の一粒 (日本26聖人殉教四百年記念の祈りより)
 午前9時過ぎJR三石駅到着,前日から来ていた4人と合流。総勢11名(うち子供1人)T田さんから司教さまの十字架を渡され,首にかける。ずっしりと重かった。三石一里塚跡でお祈りをして,満開のひまわりの前で記念撮影,歩き始める。前日からの雨で,今日は土砂降りの中を歩く覚悟であったが,予想に反し雨も上がり昼前には日が差してくる。10時ごろ国道2号に入る。備前市とゆうことで道路沿いに備前焼の窯元の看板が目に付く。昼食のため国道から田舎道に入る。昼食をとるため日陰を探したが見つからず,池の土手で昼食をとる。日差しが強くなり,かなり暑くなってきた。
 午後,順調に歩いてきて目的地点も近づいてきたので,備前焼のお店で休憩,アイスコーヒーを飲む。おいしかった。
 午後1時45分,本日の目的地点・宇佐八幡に着く。途中,ロザリオを唱えながら,皆それぞれにO浦さんへ想いを馳せていたのではないだろうか。O浦さんとご一緒できなかったことをとても残念に思う。お祈りをし,少し休み,JR西片上駅に向かい,帰路に。
 歩行距離12.192キロ。22,300歩。今日は割りと楽なコースであったようである。最終地点長崎までには7,8年かかるそうである。出来ることなら長崎まで行きたい。
第16回(2003年11月314号掲載) アロイジオ記

 天気も上々,JRで移動しての巡礼ウォークである。天気が良いと雨具がいらないので背中のリュックもずいぶんと軽い。O浦親分のいない2回目の巡礼ウォーク,今日も一日がんばろう。
 岡山駅での電車待ち時間に今回の行程を打ち合わせた。次回ゲスト参加の岡山巡礼の行程を歩きやすいところにするため,「JR山陽線の上道駅を今日の終点にしましょう。14キロぐらいですね。」「もっといけるかも,20キロぐらいはいけるわな」などといって笑っていたが,まさかあんなことになるとは…。
 N越姉が巡礼ウォークメンバー限定「祈りのカード」を作ってくれた。親分の写真入り。備前焼の狛犬がある宇佐神宮でカードに書かれた巡礼開始の祈りを唱えた。
 片上から長船を通り吉井川を渡る。26聖人の時代の旧街道の渡し場は,今はない。渡し場があったと思われるところと現在かかっている橋は片道1キロの重複コース。でも26聖人の足跡をたどる私たちは,近道してはいけない。片道1キロを黙々と巡礼し,常夜灯を発見,ここで記念撮影した後,今きた道を橋のところまで再び黙々と巡礼した。そのときは気づかなかったが,すでにここまでで約12キロ。橋を渡りきるとそこは岡山市,ここでも記念撮影。そしてここから7キロの道のりが待っていた。
 あと2キロぐらいかなーという会話を何回か繰り返したのち,ようやく上道駅が見えてきた。私はなにやら右足に違和感,いや,じわじわと痛みが…。長男をおぶったとき痛めたか。と思っていたらN越姉が「今度は私も(おぶって)」脊髄反射で「いや!」と答えた。
 上道駅のすぐ近くまで何とかたどりついた。疲れ切った体だったが大満足の笑みを浮かべて記念撮影。
 結果は計6時間,長男の万歩計は40000歩,私は30000歩,まさに20キロメートル。地図上での距離の測り間違いであったが,ちょうどいいところまで来れたので結果オーライだ。巡礼ウォークはこれで16回目になるが,1日でこんなに歩いたのは初めてである。あーしんどかった。
 3日ほど私の右足のくるぶしあたりはふっくらとふくれた。しかし7歳の長男はぴんぴんしていた。長崎まで付いて来いよ。もうちょっと成長したらおぶってもらうからな。
第17回(2003年11月314号掲載) マリア記

 かねてからこの巡礼ウォークに参加したいと思いつつ心ならずも見送っていたのだが,今回はたまたま他の予定がなくやっと念願がかなった。
 私と同じ初参加の人が多く総勢25名。T中さんの胸にかけられたO浦さんのお骨を加えると奇しくも26聖人と同数になる。
 聖堂で司教様の祝福と励ましのおことばをいただき,午前9時出発。隊長のT田さんの胸には司教様がかけて下さった金色の大きな十字架が…。
 貸切りバスでJR山陽線上道駅まで行き,駅の裏側から旧道に入りいよいよ26聖人の足跡をたどって巡礼の歩みが始まる。ロザリオの珠をくりながら…。
 天候は全くの巡礼日和。前夜からの雨も上がり,かといって強い日ざしを受けるわけではなくほどよい薄曇りでウォークに汗ばんだ体に時折吹き抜ける秋風が心地よかった。
左手に山陽新幹線が走りそれに平行しているこの道を彼らはどんな思いで歩いたのだろうとはるか昔に思いをはせる。
 多分ろくに食べ物も休息も与えられず長崎まで本当に苦しい道中だったことだろう。ひたすら約束された「永遠の命」を求めて神の助けのもとに霊の力で歩いたのだろう。
 彼らの信仰純粋さを思うと今の自分のキリスト教徒としての生き方が何とも恥ずかしくて情けなくて…。しかし,それでもなお無償の愛でいとおしんで下さる神への感謝もまた味わうことができたのだが……。
 1時間ほど歩いて小公園で昼食。それぞれ持参した弁当を食べながら日頃の心情を分かち合いゆっくりと休息した。午後再び一時間ほど歩き今回の巡礼ウォークは終わった。
 私達はたった2時間くらい,約6キロを歩いただけである。しっかり食べ,十分休み,それでもある程度つかれたのに,26聖人達は800キロ以上を30日足らずで冬のさ中に歩かされたのである。まさに想像を絶する艱難辛苦の旅だったことになる。その同じ道をほんの少しでも体験できたことは今の私にとって大きな恵みであった。
 京都からの道を苦労して詳しく調べ私達を導いてくれた発案者の方々に感謝したい。
 ウォークの後,バスで岡山教会に行く。教会の庭には26聖人の一人聖ディエゴ喜斉の像がある。まさに巡礼中のミサにふさわしい教会だと感動した。円型のモダンな新しい建物で岡山東教会の信徒の方々が年輩の神父様と共に出迎えて下さった。その中に下田神父様の姪御さんがおられたことも喜びであった。
その方々と共に佐々木神父司式のミサに預かり恵みを感謝する。ミサ後,心のこもった茶菓の接待を受け感動を分かち合った。
第18回(2004年3月315号掲載) ルチア記

 第18回巡礼ウォークは,11月15日〈土〉朝8時23分発マリンライナーにて山陽本線高島駅に向かう。そこから1キロメートル程戻り前回の終着点炭火焼「八剣伝」藤沢店前をスタート。途中百間川の土手に突き当たりそこを(右だったか左だったかに)曲がり,しばらく歩いてからラーメン「豚々」にてちょっと早めの昼食をとる。煮卵や餃子を分け合って腹を満たして再出発。さてそこで,前回お邪魔した岡山教会にお礼参りをするかどうかを協議。結果,訪問の折にはお話を伺ったりお茶やお菓子のご接待を受けたりと,たいへんお世話になってるのでもう1度立ち寄ろうよ,ということになり再訪問決定。前回鶴島に巡礼中でお留守だった神父様や信徒の方たちにも会え,個々にお祈りをし,記念写真を撮って再び出発。まもなく岡山駅を越え,さらに吉備路をひたすら歩く。途中,吉備津彦神社を横目にやがて見えてきた吉備津神社の大きな鳥居の前で今回の区切りとし,吉備路を後にした。
 その時によって話をしながら歩いたり,ただひたすらお祈りをしながら歩いたりと違ってはいるのだが,今回は小二のかおる君と前半二人して仲良く歩いた。かおる君の生物への好奇心と知識は旺盛で,やはり生き物好きの3人の子を育てたわたしとは実にうまく気が合い,会話もスムーズ,歩調もスムーズ。お父さんの「コラァ〜,カオルゥー!」の叱責の声にわたしも思わず「はい!」と反応し,小川の小魚に目を凝らし,虫や鳥や動物とかのおしゃべりに夢中になってちょっとお下品な会話も飛び出し,共に二人は快調,快調。「おッ,みんなからだいぶ離れちゃったよ。ちょっと急ごうか」と言ったとたん,彼の足の速いこと速いこと。「待って〜,早すぎぃ〜」と叫びながら半分駆け足のわたし。今までは足取りの遅い彼をふりむきふりむき歩いてきたけれど,もうそうではない。私が彼の背を見ながら歩くのはもはや時間の問題か,と実感。
 西坂は遠くに見える。でも少しずつ近づいてきている。さあ,歩こう。共に。
第19回(2004年8月316号掲載) ヨハネ記

 数日来の冷え込みが今日も続き,寒い朝を迎えました。今日の岡山の天気予報は,「曇り,ところにより時々雪」。少し厚着をし,念のために簡易雨具をリュックに入れて準備万端です。
 高松駅に集合したのは14人。3人の子どもの参加でいつもより賑やかなウォークとなりました。8時23分発のマリンライナーに乗車,電車を乗り継ぎ吉備津駅下車,10時5分,前回の終着点,吉備津神社参道口に到着しました。
 いつものように,お祈りと記念写真などを行い出発,旧山陽道を,ひたすら西へ歩きます。空気は冷たいものの,予報を裏切り晴間が覗くまずまずの天気となりました。
 途中,旧街道が途絶えたり,国道や県道と合流したりすると,轟音をたてて近づいてくるトラックに怯えながら,ただただ車道にはみ出ないように注意して歩くことを余儀なくされます。しかし,ひとたび旧街道に入り込むと,それは心地よく落ち着ける空間で,徒歩でなくては見過ごすしてしまいそうな,興味深い物がたくさん見えてきます。今回発見したは,大人の顔をした小便小僧。出発地点からそれほど遠くない所,道の右側の民家の庭にそれはありました。面白いけど不気味で,笑うに笑えない不思議な置物でした。
 興味深いといえば,旧街道では,昔の道しるべを幾つも見つけることができました。記された地名は,「美作」,「四国」,「「大坂(大阪)」などなど。こんなに狭く曲がりくねった道も,昔は大切な幹線道路であったことを知らされました。また同時に,「26人の殉教者も,この道しるべを横目で見ながら歩いたのだろうか」などと思いを巡し,それまでのハイキング気分から,巡礼気分に引き戻されるのでした。
 街の少ない今回のコースにもかかわらず,12時にはしっかり食堂を見つけることができ,午後は少し道を間違えたものの迷うこともなく,目的地の清音駅に無事到着することができました。神様に感謝,先頭して下さる皆さんに感謝です。
 いつものことながら終盤は,痛む足の裏を太股で無理矢理に前に運び,試練らしきものを感じながら歩き,目的地に着くと「今日もよく歩いた」と自己満足に浸るのでした。
 今回歩いたのは約14km。ところで,26人の殉教者は,1日にどれくらい歩かれたのでしょう。
 1月3日に京都で左耳を削がれ,京都,大坂,境で引き回された後,大坂から長崎への道のりを歩みだしたのが1月10日と言われており,長崎に着いて処刑されたのが2月5日。その距離は現在の国道や県道で測っても約830km。1日平均少なくとも30kmは歩かれていることになります。
 今回よく歩いたつもりが,殉教者に比べるとせいぜい半分。でも,これくらいが足も気持ちも限界です。
 今回で全道のりの三割弱。まだまだ先はながい。
第20回(2004年8月316号掲載) ベロニカ記

実行日   3月27日  土曜日
参加者6名 
歩行距離  16.9km  (28319歩)
出発点   (岡山県) 清音村
終了点   (岡山県) 矢掛町
 この巡礼が始まって早くも3年の月日が経過し,回も重ねて,今回は20回目となりました。
 京都は一条戻り橋の柳の木の下で出発の祈りをして以来,高槻,大阪,堺,芦屋,神戸,三宮,姫路,そして岡山県に入り,あとしばらくしたら広島県へと向かう道を歩いているところであります。本当に人間は神様からいただいた2本の足で,歩いてどこまでも行く事ができるのだと感慨深いものを感じます。
 さて今回,清音村のきれいな水の流れる高梁川にかかる橋を出発点とし,歩き始めました。春うらら,あちこちの桜が美しく咲き誇り,道路ぞいの家々の花壇にも色とりどりの花が目を楽しませてくれます。のどかな田園地帯をひんやりした風が渡り,疲れも知らず歩き続けました。ふと山の中腹に何か立派な建物があるのに目が留まり,土地の人に尋ねると天文台との事,そういえば町名も美星町,いつかの流星群の時にはTVにも出ていた事など思い出しました。
 この頃,時刻はすでに正午を少し過ぎ,皆そろそろ空腹を感じ始め,まわりを見回すと,田園の中をどこまでも道が続き,家々が点在するばかり−−−  うどん屋やレストランなど全く見えず,スーパー,コンビニさえも見当たりません。パン屋の横を通ったものの「パンだけしかないのではちょっとね?」などとやり過ごしたのもあとの祭り。疲れと空腹で皆無口に−−−。その時「あ,レストラン発見!!」との一人の声に「よかったー」と喚声。ところが近づいてみると,ロープが張られ,すでに廃業したもとレストラン。がっくりと顔を見合す私たち。
 そこからさらに歩くこと1時間半,あわれな飢えた巡礼者たちは1軒のラーメン店にたどりつき,やっとの思いで昼食にありつけたのです。
 かおるくんの一言,「う うますぎるウ」が全員の気持ちを語っています。
 日ごろ飽食の私たちに神様が断食というものの入り口を教えてくれたのかも。無事給油を終えた我々は再び歩き続け,午後4時20分,矢掛本陣にたどり着き,今回の行程を終えたのでありました。
第21回(2004年10月317号掲載) アシジのフランシスコ記

2004年5月29日
井原鉄道矢掛駅〜いずえ駅
 今回の巡礼コースは,岡山県も終盤に掛かる矢掛から井原市までのコースである。
 朝7時半に高松駅に集合した6人のメンバーは怪しげな雲行きを心配しながら瀬戸大橋線に乗り込んだ。模擬試験でもあるのか朝早くから受験生らしき学生も乗っていた。しかしどの受験生にも勝る熱心さで,何かを暗記している男がいた。翌月の演劇デビューを前に,名伯楽N越師の猛特訓を受けるT田氏である。
 我々は岡山県矢掛の古風な街並みに降り立った。小雨降る中,巡礼の祈りを捧げた後,歩き始めた。巡礼始まって以来初めての雨であり,あまりの湿気にいつもよりも疲れが早かったが,粛々と一行は進む。巡礼者が通過した季節は冬でありこの様な雨ではなく,降っていたとしたら氷雨であろうか。
 井原市に入ったところで雨足が強くなった。その時何というタイミングか古ぼけたドライブインが建っているではないか。「雨だけどこれで機嫌直しな」と,雲の上から聞こえたようだった。あまり美味くはなかったが,感謝しつつ短時間のうちに胃袋に叩き込んだ。店を出た我々は,雨足が弱くなった西国街道を再び歩き始めた。
 依然湿気は高い。しばらく進むと前方右側に,備後の名城「高越山城」の城山が見えてきた。城下では相模で活躍した戦国武将の北条早雲がすごしたともいわれている。北日本で大学に通っていた頃いつの日か見たいと思っていたが,この様なチャンスに出会えるとはありがたいことだった。本堀・掘越といった地名や街道筋が急にカーブしているのはその名残なのであろうかと思いながら進んだ。
 天候に恵まれなかったものの,出部(いずえ,でぶとは読まない)まで皆無事に歩くことができた。巡礼いつも晴れとは限らないのであった。それでも26聖人が歩いた季節に比べると穏やかな季節なのは間違いないのである。
第22回(2004年10月317号掲載) アロイジオ記

 2004年8月7日(土曜日)
 井原鉄道いずえ駅〜JR神辺駅(井原鉄道神辺駅)約10キロメートル
 参加者10名
 今回は暑さを避けるため,早朝出発し昼ごろには巡礼を終了する予定。また,出発点から2,3キロメートルで広島県に入るのが楽しみ。
 みんな定刻に集合,張り切って4時38分発のマリンライナーに乗り込み出発。岡山駅と清音駅2度の乗り換えがいずれも3分しかなかったが,まー普通に乗り換えすればたいしたことないかなーと思っていたのが大はずれ,参加者に十分周知できていなかったため,岡山駅で乗り遅れた方が6名…涙。「あーもうしゃーないなー先に行っとこう」と岡山発の列車が出た直後携帯に連絡があり,結局いずえ駅で待ち合わせ。1時間遅れの開始となった。
 それでも,いつもの巡礼よりはだいぶ早い時間からの出発,予定の行程は行けそうかなと思い歩き始めたが,やはり8月の日差しは厳しく,しかも日陰がない。長男は早起きでまともに食事ができず「腹が減った」と怒っている。なんとかなだめながら岡山・広島の県境に到着。そこには県をまたいで商店があり,経営者の方から県境について説明していただき(「あの山のてっぺんの木のとこが県境なんじゃ」とか,「固定資産税は岡山にも払いよる」とか,楽しい会話),記念撮影もして再び出発。
 途中,親切な町の方に冷たい井戸水を使わせてもらい気持ちも体もリフレッシュしたりして,なんとか神辺駅に到着。日中の日差しはさらにきつく,一駅手前で終了。駅前の食堂で昼食とし,麦由来の飲み物でしっかりと水分補給して帰路についた。
 2001年3月から始まったこの企画,3・5・7回と10回の2日目以外はすべて長男と2人で参加させてもらい,11回目からは宿泊有の時も含め連続13回休むことなく歩みを続けている。隔月とはいえ,就学前〜小学校低学年の子供と続けて参加できることには,妻を始めいろいろな方に感謝している。もちろん神様にも。府県でいえば9つのうちの真ん中までたどり着いたが,行程全体の距離でみるとまだ4割ぐらいだろうか…。西坂に着く頃には彼は中学生になっているはずだが,なんとか一緒に目的地までたどりつきたいものだ。(近々,次男がデビュー予定。軟弱な彼のために,父がシェイプアップ&足腰の鍛錬せねばならぬ。笑)
第23回(317,2004年12月号掲載) マリア,洗礼者ヨハネ記
 2004年9月23日(木)
 JR神辺駅からJR備後赤坂駅までの約11kmを,3時間半かけて歩きました。参加者は16名。ウォーク終了後,福山教会を訪問しました。参加した子供たちから寄稿いただきました。(H田)

「足がくたくた」 マリア
 わたしは26せいじんの人が京とから長さきまで行けたことがすごいと思いました。電車にのったらよいました。おなかがはらぺこだったので,スパゲッティーを食べたらすごくおいしかったです。
 家に帰ったらくたくたでした。

「見たことのないものが見つけられるから」 洗礼者ヨハネ
 ぼくは5才の時から巡礼に行きはじめました。最初はめんどくさいナーと思ったけど,ぼくは生物が大すきだから,行くと「シカ」や「ヘビ」や「カエル」や「ナマズ」にあえたのでめんどくさくなくなりました。
 いままででとくにおもしろかった県はおか山です。おか山では「シカ」がいたし「ヘビ」や「カエル」もいて,ほかの県よりも生物が多かったからです。一番きにいった動物は「ナマズ」です。どぶのよこっちょを歩いていたら見つけました。大きくてふとかったです。だからぼくは,いままでにこんな物見たことないなと思いました。
 いままでに見たことのないような物が見つけれるから,ぼくはこれからもじゅんれいをつづけたいです。
第24回(2005年3月319号掲載) ルチア記

 2004年11月27日。第24回巡礼ウォークは,今回も少々肌寒いけれど好天気。
 普段,天候はあまり気にしないのに,ウォークの日の晴れマークはうれしい。
 今回の参加者は8名,JR備後赤坂駅から歩き始め約15km先の尾道をめざす。地図を見れば,途中,大きな峠があるとのこと。ふんばって歩くぞ,と息を荒くして出発。今回は私が十字架を首からぶらさげて同行。結構重くて肩がこる。おまけに「M宅さん,今日の分,原稿担当ね」と言われ,さらに肩に何やら重たいものがズシン!という訳で,いつもは皆の背を見ながらノー天気で歩いている私もせっせとメモを取りながらのウォークとなった。(でも歩きながらのメモは字も歩いて判別不能)
 いつものとおりロザリオを唱えたり,街道沿いの家の庭をのぞきこんだり,26聖人の道行を心にきざみながらひたすら歩く。
 お昼,街道を少し離れて,神社の境内で食事。お祭りの時だけ人々が使うのだろう,祭具を納めた小屋,コンクリートでできた鳥居,いずれも朽ちかけていて,いかにも寂しげな神社。さて,腹を満たして再出発。さあ防地峠が待っている。峠といえば,閑静な道,と思うでしょ。ところが,道が舗装されているのはいいとしても,やたら車が行き交う。不思議に思っていると,まもなく住宅街。さらに上には大きな道路が。そこは福山と尾道の境であった。ここまで来る途中で,水の湧き出している所でこんな唄をみつけた。
   「防地くだれば鶴亀山よ,きよき泉の恋之水」
 粋な唄に思いをよせ,防地峠越えを楽しみにしていたのだが・・・。
 下りはトットコ足がスムーズに前へ。そして尾道駅をすりぬけ尾道教会へ。ここは「長崎への道第38番教会」。ということは京都から1番があって37まではいったいどこの教会だったのだろう。そして次回は三原教会,第39番巡礼教会を訪問することになる。
第25回


第26回(2005年6月321号掲載) ペトロ記

 4月2日(土),桜の開花が遅れていた春の日の早朝,巡礼者9名はJR高松駅に集合した。6時45分発のマリンライナーに乗車。岡山で乗り継いで9時26分三原着。前回中継地点の三原教会に向かう。前回来たのは,2月5日の日本26聖人の祝日である。ちょうどこの三原教会で松永洋司神父様,ホルへ神父様に,ごミサをたてていただいた。あれから二月になる。この巡礼が発案されたとき,2ヶ月に1回のペースで巡礼しようと提案されたのは,団長のT田氏であった。過去の経験からこれくらいのペースが長続きするだろうということであったが,今からみるとまことに的を射た提案であった。もしこれが毎月であったなら,或いは3ヶ月に1度だったら,おそらくここまで辿り着くことは困難であったように思われる。さて,主任司祭のアルナルド神父様と一緒に聖堂で主の祈りを唱えた後,ルルドのマリア様の前で26聖殉教者への祈りを捧げる。今回十字架をかけるのはかおる君。記念撮影して10時三原教会を出発。ナビゲーター役のO川氏が3月に仙台へ転出されたのは痛かった。交代しながらナビゲーターを務める。各自それぞれにロザリオを唱えながら,三原市内を西へ向かう。西宮町で南へ折れ,山陽新幹線の下を潜ってしばらく行くと広島県立保健福祉大学前に出た。ここで少し休憩を取り,さらに南下すると沼田川(ぬたがわ)のほとりに出る。橋の向こうにローソンの看板が見えたので,そこで昼の弁当を調達して河川敷で昼食とする。水鳥を眺めながら弁当をとる。来し方,行く先に暫し思いをはせる。2001年3月に京都を出て,まる4年を経過してこの場所にいる。やはり10年がかりか?長いか?短いか?さすがにここまでかかると,いかに速く長崎に着こうなどとは考えない。一方で長崎到着が先になればと時に思ったりするから不思議だ。聖人が40日かけたところを凡人が10年かける。永く生活に重なってくれればいい。そんな思いにとらわれながら,腹ごしらえができたところで出発。沼田川沿いを上っていく。途中水分補給に自動販売機でお茶を買っていると,H川氏が近づいてきてボソッと呟く。「コンビニと自販機がなければ,この巡礼は難しいですね。」「う〜ん。ほんまやな。」言い当てて返す言葉なし。さらに沼田川を上って中継地である本郷に到着する。記念撮影して今回の行程13キロを無事終了。ここからの行程はJR山陽本線としばらくお別れとなる。14時50分JR本郷駅発の電車に乗って帰途に着いた。
第27回(2005年6月321号掲載) Frすえお記

本郷〜西野大橋(竹原市)7名参加
 5月28日(土),26聖人殉教者の道を辿る巡礼団に加わりました。朝9時に出発して午後2時まで,12キロを歩きました。国道2号線を外れた旧山陽道は,途中獣道に近い山越えもあり,変化に富んでいて,楽しい巡礼になりました。小学生のかおる君にはルドヴィコ茨木少年がダブって見えました。最年長のヨハネ・バプチスタ神父様役は私なのでしょうか。その気になって,大きな杖をついて歩きました。
 聖人たちの心境はどんなものだったのでしょうか。確かに,長旅の疲れは極限に近かったに違いない。しかし一人も挫折することなく,逆に二人が加わったといいますから,悲惨に満ちた旅ではなかったのではないか。そうすると,好天に恵まれた初夏の山陽道を散策しながらの楽しい巡礼は,案外実際に近いものではなかったか。
 長崎までは,後5年はかかるそうですが,2010年2月5日の殉教記念日には,100名を超える高松教区大巡礼団が長崎に入る様を思い浮かべながら帰途に着きました。
第28回(2005年10月322号掲載) ヨハネ記

 28回目となる今回の26聖人巡礼ウォークでは,7月30日〜31日の一泊二日の行程で,広島県竹原市西野大橋から広島市安芸区上瀬野町の区間約25kmを歩きました。
 7月30日朝,高松駅に集合した10名の参加者は,7時6分発のマリンライナーに乗車。「広島地方午前中時々雨,雷を伴う」という天気予報,雨具の用意はしたものの,ちょっと不安の中の出発でした。
 前回の終着点,竹原市西野大橋で26聖殉教者への祈りを唱え,12時20分に巡礼ウォークを開始しました。今回十字架をかけるのは,I泉Y子さん。
 直前に降ったにわか雨で湿度と不快指数が上がる中,小魚が泳ぐきれいな小川やのどかな田舎風景に目をやる余裕もなく,汗をいっぱいかきながらのスタートとなりました。
 暑さの中,全般に皆の口数も少なかったのですが,田園や山道が多かったためか,珍しい昆虫が見つかり皆が楽しむなど,ハードな中にも小さな心のオアシスを見つけることができました(H川君,オニヤンマ捕獲で大喜び)。オアシスと言えば,そう,今回は「酒どころ西条」という特別なオアシスがありました(不真面目)。
 一日の体力を使い果たした一行は,午後6時,今日の宿泊地,西条の街に到着。西条は造り酒屋の多い街,酒造会社の煙突がいたるところに立っている風景は,酒の街を感じるには十分で,巡礼中にもかかわらず,脳裏には美味しい・・・がよぎるのでした。
 二日目の朝,目を覚ました一行は外を見て唖然。天気はどしゃ降り,予報は降水確率90%,広島県北部には大雨洪水警報。
 ところが,ホテルの部屋でH口S雄神父がたててくださるミサの間に,あれほど激しかった雨も止んでいました。この様子に「神様が巡礼を後押しして下さっている」と思わずにはいられませんでした。
 9時30分,本日の始点,JR西条駅前でロザリオの祈りを唱え,I泉さんからW田F子さんにロザリオをバトンタッチ。二日目の巡礼ウォークがスタートしました。湿度の高さは相変わらずで,自販機のお茶とT田さんご夫妻から戴いた岩塩で,水分と塩分の補給をしながらのウォークとなりました。
 「その昔大飢饉の年,飢え苦しむ人々が食べ物を求め行列をなし,この峠に差し掛かると力尽き,多くの死者が出た」と言い伝えられる,小さな峠「飢坂」(かつえざか)を越え,昼食をとった後,今回の最後の難関「大山峠」に差し掛かりました。
 大山峠では,二股の分かれ道で迷いそうになりながらも,H口神父様の嗅覚とT田さんの勘で難なくクリアー,雑草や木枝をかき分けながら東広島市を後にし,広島市に入りました。
 この頃には,これまで曇っていた空も晴れ,気温も一段と上がり,32度を越えていました。
 殉教者が体験したであろう冬の厳しい寒さは,最近の暖冬傾向と防寒着のおかげで感じることはなくなりましたが,半面,この夏の暑さは質こそ違うものの,殉教者が肉体的に感じた苦痛の一部を体験できているのではないかと,辛い中にも一種の満足感を覚えました。
 大山峠を越えて約1時間,広島市安芸区の瀬野川公園入口(バス停「桜河内」)に到着,今回予定した25kmのウォークを無事終了しました。
 バスでJR瀬野駅まで移動,16時6分発岡山行き電車に乗車,帰路に就きました。
第29回(2005年12月323号掲載) アロイジオ記

東広島市瀬野川公園前〜JR海田市駅
 朝7時,参加者12名は高速バスで広島に向け出発した。初顔が2名,妻と次男である。昨年末頃から参加の機会をうかがっていたのだが,しばらくJR路線から離れることや峠越えがあること等で見送っていた。今回は「全体的に下り坂」「経路にJR駅2カ所(リタイヤ可能)」と好条件で次男を連れ出すことにし,妻も誘ってみたところ参加するとのことで,初めての家族4人そろっての巡礼ウォークとなった。まずは,そろって参加できたことがとてもうれしかった。
 出発点に到着し,先に食事を済ませてから巡礼を開始することにした。コンビニで弁当を買って近くを流れる瀬野川の川岸で並んで食べ,出発点で祈った後出発。今回のルートは国道に沿った旧道で通学路にもなっている生活道路のようだ。9月も終わりに近いので,日差しはそれほど強くはなく,まずまずのペースで歩を進める。6歳の次男もよく歩いていたが4キロを過ぎたところでややペースダウン,少しおぶってやった。5キロを過ぎたところにあった公園で休憩。次男は先ほどまでだれていたのが嘘のように元気で遊んでいる。長男もこの巡礼の初め頃はこんな感じだったなぁと思いつつ,再び出発。
 しばらく行くと,付近の小学校で運動会があったようで,なにやら車の通行量が多くなった。幅が4メートルぐらいの道路を,前からも後ろからも自動車がやってくる上,運動会が終わって帰宅する小学生がゆったりと歩いており,少々危険ではあったがなんとか無事クリア。そうこうしているうちに海田町に入り,今回の目的地の海田市駅に近づいた頃次男の足が痛み出し,終点まで2度目のおんぶとなった。
 終盤は時計をにらみながらのウォークとなったが,計画どおりに目的地に到着することができた。神に感謝。次男のリタイヤも想定していたが,元気によく歩き,妻もまずまず機嫌良く巡礼を終えたようで,次回も是非家族4人で参加するぞと心に誓ったのであった。
 次回は11月23日(勤労感謝の日)に実施することにした。海田から広島市街に入り,カテドラルの幟町教会を訪ねる予定である。時間に余裕があれば原爆資料館なども訪ねてみたいと思っている。時間に余裕が無くてもなんとかお好み焼きは食べたいものである。
第30回(2005年12月323号掲載) ペトロ記

日本二十六聖人巡礼ウォークに参加して
広島市JR海田市駅前〜幟町教会7.5km
 この度,初めて巡礼に参加しました。
 今までは,仕事の都合等で積極的に参加出来ませんでした。しかし今年9月に,H口S雄神父様と行く「長崎・五島列島巡礼3日間」に参加して,日本26聖人が長崎の西坂の丘で殉教された事を記念して,船越保武氏によって製作された記念碑の見学,記念館等で殉教について勉強する機会を得て,巡礼ウォーク途中からの参加にはなりますが,時間の許す限り参加したいと言う気持ちになりました。
 さて今度は,桜町教会横を朝7時過ぎに出発し,海田町へ11時頃到着致しました。総勢20数名だったので,三々五々に分かれて昼食を取ることになり,我々は広島風お好み焼きを食べました。量が多く,美味でした。昼食後,海田市駅前広場で,巡礼ウォークの注意事項とお祈りを行なって,新参者が十字架を携帯する当番という事で,妻が十字架を首に掛けて,出発地点である「旧山陽道海田市の一里塚跡」道標へ向かいました。
 そこは,稲荷町で府中峠まで約2キロの地点で,道巾4,5メートルと狭く,古い建物が街道沿いに残っており,昔ながらの街並みの雰囲気を味わいながら,また交通量が多く,車に気をつけ,黙想しながら,なだらかな上りを歩きました。船越峠はそんなに高い峠ではありませんが,峠を越えると府中町で,道巾も広くなり歩道付街道となりました。
 府中町に入った旧山陽道は,現在の県道51号府中海田線と同じような道筋ですが,大通り地区の一部は府中大橋付近から東区の曙町5交差点迄県道84号と70号の道筋となっていました。府中大橋を渡って矢賀新町で山陽新幹線と平行して西進し,芸備線のガードを潜って曙町5を過ぎると北側へ県道を離れて,尾長東地区へ迂回し,また狭い街道となりました。尾長西2の交差点で左折し,街道松の名残の「三本松」を横目で見て,愛宕町の交差点に到り,そこを越えて猿猴町・京橋町・橋本町を経て,幟町平和記念聖堂へ到着致しました。幟町平和記念聖堂は当日行事が行われており内部の見学は出来ませんでした。地下聖堂で,濱口秀昭神父様司式の御ミサに預かり感謝でした。
 この度の巡礼ウォークを終わって感じた事は,408年前の江戸時代,罪人として引っ立てられて旅した26聖人の心情を思うと,そのギャップに戸惑いを覚えます。しかし,26聖人は天国へ行ける喜びでつらい旅道を乗りこえたのかも知れないなとも思いました。
 私達の巡礼ウォークは参加された方々(下は6才の子供から,上は79才の長老まで)と巡礼と言う同じ目的で,触合い,話し合いの時が持てた事が一番良かったのではないかと感じています。
第31回(2006年4月324号掲載) ヨハネ記

広島市猿猴橋町(猿猴橋)〜JR新井口駅(約10km)
 2月11日(土),7名の参加者は8時12分,ゆめタウン前バス停で高速バスに乗車,11時50分,予定より約20分遅れて広島駅に到着しました。
 今回のスタート地点「猿猴橋」は広島駅にほど近く,ビルに囲まれた広島の中心地。歩き始めると路面電車や斜めに交差する道路など慣れない街の道路を,「本当にこの道で良いの?」と曲がり角の度にドキドキしながらのスタートとなりました。街は土曜日の午後とあって大変な賑わいで,人の波に飲み込まれていないか,お互いを確認しながら歩きました。
 平和記念公園を通過し,しばらく歩くと,観音町教会に到着しました。観音町教会ではこの日,「広島キリシタン殉教記念祭」が行われているとのことで,うまくいけば参加できるかもしれないと思って来たのですが,「つい先ほど終わってしまいました。」と観音町教会信者のY塚さん。Y塚さんは,維持費袋の整理の最中でしたが,突然の訪問者を丁寧に案内して下さいました。本当に感謝でした。
 この記念祭は,毎年この日(2月11日)に,教会から約1km離れた「広島キリシタン殉教の碑」への小巡礼と,記念ミサ,講演会などが行われるもで,今回が23回目になるとのことでした。
 観音町教会を後にした私たちは,途中,「広島キリシタン殉教の碑」に行ってみました。
 碑は,住宅地の細い路地脇の僅かな土地に,町の風景にとけ込むように建っていました。
 広島では,キリスト教布教が始まって17年後の1616年に初めての殉教者が出て以来,記録に残るだけで22名が殉教しているとのことで,碑は,これらの史実を記録し後世に伝えるために,付近に当時の刑場があったこの地に,1984年に建てられたそうです。
 26聖人が歩いた道のすぐ近くで,多くの殉教者が出たという事実に思いを寄せながら,ウォークを続けました。
 今回の予定距離は12km。大人だけの参加となった今回,余裕の距離となるはずでしたが,終着予定駅まであと3kmとなった午後4時,電車の時刻まで30分しか残っていないことに気付き,最後は大急ぎになってしまいました。
 結局,悪あがきも長くは続かず,予定駅までのウォークは断念,一つ前の新井口駅の付近で今回の終着となりました。
 時間不足は,どうやら昼食をゆっくりとったのが原因のようです。反省,反省。
第32回(2006年6月325号掲載) アロイジオ記

五日市から畑口(広島県廿日市市)
 3月21日今回9名の参加で引き続き西国街道を歩きます。寒さもこころなしか緩み,なかなかの巡礼日和りになりました。
 私含め4名は前回分を補習グループとして巡礼した際,調子よく一駅余分に歩いていたので,今回は2つのグループに分かれ出発時間をずらして途中で合流することとなりました。広島駅でゆっくりと昼食をとり,合流点に向かっていると先発隊から「もうついて待ってるよ」の連絡。ありゃーさすがに健脚,巡礼猛者ぞろい,足が速い。少々お待たせし五日市駅前で合流,そろって巡礼の祈りをしてスタートです。
 脇目もふらず西へと進み訪問予定の廿日市教会をめざします。廿日市の古い町並みを通り抜けこのあたりに教会があるはず,というところまで来たのですが,なぜか見つからない。地図では,一つ向こうの通りにあるようなので,細い路地を走り抜け,回り込んでやっと屋根の十字架発見短い時間でしたが聖堂を訪問し,共に祈って再び出発。
 今回設定の終点はJR路線から少し離れており,JR駅まで路線バスで移動する必要があります。終盤は,バスに間に合わせるため,皆さんにどんどん引き離される子供たちにハッパをかけ,時計をにらみながらの巡礼となりましたが無事目的地に到着。すぐにバス停の時刻表を確認すると,なんとバス到着の5,6分前。ばっちり,間に合いました。神様に感謝しつつ,程なくやってきたバスに乗り込んで帰途につきました。
 だんだん高松から離れていくため,往復に要する時間・費用も馬鹿にならなくなってきました,いよいよ山口県に突入します。今年中にはなんとか真ん中辺の防府までいけると良いのですが…。
第33回(2006年6月325号掲載) ヨハネ記

雨の安芸路を歩く
 5月27日,今回の参加者は6名,広島県廿日市市から大竹市までの約12qを歩いた。
 午前8時12分,高速バスに乗り込み広島へ向けて,出発した。
 広島地方の天気予報は曇りのち雨,一応傘の用意けしてきたが,雨の巡礼ウォークを経験したことがなく,「神様が雨から守って下さっている」と信じている私は今回も大丈夫」と楽観視していた。
 西条付近を通過した頃,バスのワイパーが動き出し「今日は雨かな」と不安がよぎる。この時,隣に座っていたTさんが,「湖の上を歩いていたペトロが,強い風に恐くなり,「主よ助けて下さい」と叫んだ時の心境と同じだね。」,「イエスはペトロに「信仰の薄い者よ,なぜ疑ったのか」と言われたんだよね。」と話された。
 「そうだ信じよう,昨年の西条の例(「いずみ」322号)もあるし。」そんなことを思い,分厚い雲を見上げる。
 まもなくバスは広島駅に到着,電車,バスを乗り継いで今回の出発地点「畑口」バス停までたどり着いたのだが,雨は止まず,「今日神様は,雨の巡礼を用意して下さったようだ」と自分に言い聞かせることとなった。
 さて,気を取り直してウォークの開始である,渡された地図を見ると,旧道を歩くまっすぐなコース。「雨でも単調で歩きやすそうだ」と思いきや,スタートして100メートルも歩かないうちに,早くも難問発生。
 地図であるはずの道がない(高速道路の高い壁で行き止まり)。地元の人に尋ねてもやはり道はない迷いながらやっとコースにたどり着く。
 再び気を取り直し,傘を差しながら,ひたすら西へと歩く。「単調で歩きやすそう」との予想に反し,交通量が多くトラックに脅える道あり,急な上り坂あり,民家の裏道のような細道ありと,変化のあるコースを約4時間かけて歩き,大竹市に入る。
 午後5時過ぎ,JR玖波(くば)駅に到着,今回のウォークを終え,帰路についた。
 大竹市は県境の町,次回は山口県に入る。
第34回 


第35回(2006年12月327号掲載) Srみき記

JR柱野駅〜周防高森駅
 9月16日(土),日本26聖人巡礼ウォークに参加,岩徳線柱野駅から周防高森駅までの15キロを歩いた。今回の参加者は11名(内,5年生のH川かおる君と1年生りょう君)。一行は,JR高松駅6時45分発マリンライナーに乗り,新幹線で広島に向かう。この日は台風13号が本土に接近し,前線が西日本付近に停滞しているため,朝から小雨が降りどんより曇っていた,目的地までの案内役はH川さんとT田さん。私達は広島駅で下車,山陽本線岩国行きに乗り換え,岩国駅で下車。次に岩徳線に乗った。この電車は,とても可愛い一両のワンマンカー。途中,両側に茂る小枝が,車窓にバサッバサッとあたり,すごい音。車内は私達の他2,3人の乗客である。雨が降り続くのを,ぼんやり眺めながら「今日は歩けるかな?」という思いが頭をかすめた。26聖人たちの時代には,こんな乗り物も通っていなかった。天候がこれ以上悪くならないようにと祈っているうちに柱野駅へ着いた。無人の駅。ホームを降りた所に雨宿りできる場所があった。そこで出発前の祈りをした。私は初参加という事で,司教様の大きな十字架を胸にかけて歩く役を頂いた。
 雨具をつけ出発準備完了!。身の引き締まる思いで10時30分に歩き始めた。各自でロザリオの祈りをする山あいの静かな田舎。あちらこちらに集落がある。H川さんとT田さんが,地図を頼りにここが旧街道と確認しながら川筋を歩いていった,雨も小降りになり,あたりの風景が目に入ってきた。植林された栗の木がいたる所にあり,実をいっぱいつけている。昼過ぎ標高200メートル位の峠にさしかかった。だんだん急な坂道になる。息づかいも荒くなった,さすがに首に掛けている十字架の重さを感じる。(少しオーバーかな?)かおる君もW田Nぶさんも元気に歩いている。あれ!私だけかな?と気を持ち直して歩く。26聖人達が歩いたときはこんなに舗装された道路ではなかっただろう。この坂道をどんな思いで歩かれたか…。後方から「疲れた。疲れた。」とりょう君が叫ぶ。「あゝかおる君もりょう君もがんばっている。」と私も勇気を奮い起こした。峠を越えたところで振り返ってみると随分高い山に見えた。
 2時半ごろ昼食をとるために小さな食堂に入った。私達一行が入るとほとんど座る所もない小さな店であったが,こぎれいで親切な対応に疲れもとれてきた。食事をしている間に大嵐が来た。「いよいよ台風が来たか」と思った。食事が終わって3時半「さあ,そろそろ出発しよう。」のかけ声で外に出ると,大嵐は止み,雨も上がっていた。私達は守られている!心から神に感謝した。
 満腹した私達は静かな町並みを何時間歩いただろうか,途中所々で記念写真も撮った。T田さんが「今日はここまで。」見ると高森郵便局と書いてある。最後の写真を撮って,駅に向かった。帰りの車中は夢うつつ。高松駅に8時半に着いた。解散した後「T田さん,何か達成感を感じます。」と言うと,「ぼくはとっくに過ぎていますよ。」と,ガックリ。奥様が駅でニコニコ笑顔で迎えてくださった。
第36回(2006年12月327号掲載) ヨハネ記

JR周防高森駅(岩国市)〜大河内駅(周南市)約13q
 11月18日(土),うっすらと明るくなってきた高松駅で,6時45分発のマリンライナーに乗車。この日の中国地方の天気予報は「午後から雨」,「でも,きっと大丈夫」と楽観視しつつも,念のためキオスクで折り畳み傘を購入して乗車しました。
 10時15分,JR岩徳線の周防高森駅に到着,前回の終着点(高森郵便局)まで移動し今回のウォークがスタートしました。
 やや曇っているものの寒くはなく,島田川の堤防の道を川の流れを見ながらの心地よいウォークの始まりでした。川原にはススキ,道路沿いには見事に色付いたイチョウの木やたわわに実る柿の木,秋真っ只中を肌で感じながら,県道144号線を徳山に向かって歩いていきました。
 ウォークでほぼ毎回体験するのは,地元の人から声をかけられること。この日の一人目は,米川駅近くの畑で手伝いをしている小さな子ども。「こんにちは,どこへいくの」ととても可愛らしい声に,脳をフル回転し返事の言葉を捜すのですが,小さな子どもだけに「長崎まで」とも言えず,思わず「あっち」といい加減な返事をするメンバーでした。県道を離れ旧道の峠道へ差し掛かると,この日二人目となる男性から声をかけられ,道脇の柵の中のイノシシの親子を見せてくれました。親子連れで近寄ってくるイノシシの姿を見ると,微笑ましく,ひと時の心の休息をした思いでした。
 峠を上りきると,岩国市と別れ周南市に入りました。このとき12時30分を回っていましたが,民家もまばらな田舎道で「しばらく昼食はお預け」と観念して峠道を下っていきました。
 午後1時を過ぎ,さすがに空腹を感じ食事場所を探すことに。15分ほどでやっとコンビニを見つけ早速買出しをしたのですが,これまで何とかこらえていた雨がついに降り出し,コンビニの軒下を借りての食事となりました。道路に見える気温表示は9℃,雨と冷え込みで無言の食事でした。
 食事を済ませたメンバーは,思い思いに雨対策をし(私は高松駅で買った傘を片手に)コンビニを出発,旧道から国道2号線に入り一路西へ向かいました。本降りの雨に足元を濡らし,白い息を吐きながら,ほとんど会話もなく,午前中の心地よさから一転して巡礼ウォークらしい(?)道のりとなりました。
 雨水が靴に滲みて冷たく,足取りも次第に鈍くなってきた午後3時半,Tさんから予定より早いウォーク終了の提案が。全員勿論賛成,予定より一駅前の大河内駅前で今回のウォークを終了しました。

第36回(2007年3月328号掲載) アロイジオ記

11月18日(土)JR周防高森駅〜JR大河内駅
 参加者10名,JRを乗り継ぎ周防高森駅に降り立ちました。いつもはお祈りをしてすぐスタートですが,今日は巡礼を始める前にちょっとした用事がありました。出発点周防尾高森郵便局の隣には酒屋さんが…そう,ここは銘酒「獺祭」の産地。お酒の好きな数名ががやがやと思い思いの銘柄を購入し,司教様へのお土産も手配してようやく出発です。お酒を飲まない皆さんお待たせしました。
 少々怪しげな天候ですが,元気よく歩き始め,途中,畑で遊ぶ子供に「どこへいくん?」と聞かれ思わず「あっち」と答えたり,駅伝練習中のランナーに追い越されたりしながら順調に歩を進めていきます。
 小さな峠にさしかかったところで,私,道ばたになにやら檻のようなものを発見。ちょっと覗いてみるとそこにはなんとイノシシの親子が。飼い主とおぼしきおじさんと話したり「おーかわいい」と歓声を上げたり,一同しばし休息の後,再び出発。無事峠を越えた頃にポツリポツリとあめが落ちてきました。地図で調べていた食堂はあいにくつぶれてしまったのか営業しておらず,コンビニへ。雨が激しくなりコンビニの軒先を借りて食事,ついでに雨具も購入して再度出発。
 幸い大雨にはなりませんでしたが,靴の中はびしょびしょです。次男がそろそろ限界か,と思われたところが,ちょうど大河内駅で,ここで終了としていただきました。
 今回は今年最後の巡礼となり,京都をスタートしてから早くも丸6年が経ちました。京都では5歳だった長男も5年生11歳になりました。最近連れ出すのは難しくなってきましたが,この巡礼はとにかく一緒に終わりまで歩こうとお父さんがんばっています。
 全行程の3分の2程歩いた所ですが,この後何年かかって長崎にたどり着くのか,そんな先のことは考えずにただただ今日の道を歩きましょう。
 次回は2月24日JR徳山駅までで,徳山教会も訪問予定。
第37回(2007年6月329号掲載) マリア・ミカエラ記

JR大河内駅〜JR徳山駅
 2月24日(土),「日本26聖人巡礼ウォーク」に初めて参加をいたしました。以前から参加したいと思いその願いが思っていたより早く叶い,嬉しく喜びの中,歩いてまいりました。今回は,2人の初参加を含めて13人で,13.5kmの道のりでした。予定通りに,7時6分のマリンライナーに乗り,JRを乗り継ぎ,岩徳線のJR大河内駅に着きました。まず,日本26聖人殉教者への祈りを捧げ,全員の心が一つになり,新たに,巡礼ウォークの旅の続きが始まりました。
 初参加者には,司教様の大きな十字架が与えられ,道中,ずっと私は,この十字架にささえられながら歩くことができました。もう一つ,H川さんからは,特典があると言われていました。それが,今こうして作文を通して,喜びを分かち合える恵みです。
 この日は,かなり寒くなるとの予報でしたが,とても良い天気に恵まれ,元気にスタートしました。しかし,すぐにM宅さんの体調が悪くなり,リタイヤすることになって,12人での巡礼ウォークとなりました。私は,胸の大きな十字架を握り締め,M宅さんの回復を祈り,二人分しっかり歩くことを心の中で誓いました。
 さて,順調に進みながら,ロザリオを唱え殉教者の後をついて行きます。国道から旧道へと,少し坂道もありましたが,余分に着ていた服を脱いで調節しながら,余裕をもってお昼の休憩地点まで着きました。十分に時間と食事をとり,重くなった体で後半へ出発です。少し早い春の暖かい陽ざしを受けて,再び殉教者の後をついていきます。まわりのゆっくりとした風景の中,時々,目にする桜のつぼみや,川の中の鯉,虫たちの姿までが,私たちが通るのを,喜びながら待っていてくれたようでした。途中2か所で軽く休憩をとって,子供たちのがんばりもあり,全員が元気に歩き続けて,早めにJR徳山駅へ近づくことができました。あたりはもう賑やかな商店街に変わり,少し歩くと徳山教会へ着きました。まず,聖堂の中に入り,それぞれ個人の祈りをし,私も,巡礼の無事と,こうして訪れる教会が増えていく恵みに感謝しました。
 徳山教会は,ステンドグラスが美しく,聖堂正面の一部は桜町教会に似ていると思いました。すると,外から,聞き覚えのある声がするので聖堂の外へ出てみると,スタートしてすぐにリタイヤしたM宅さんが,すっかり元気になって合流していました。「良かった。良かった。」と私は嬉しく思いホッとして,今日一日,ずっと私をささえてくださった,胸の大きな十字架を再び握り締め,神に感謝!
 そして,私はふと気付いたのですが,始め重く感じられたこの司教様の十字架も,歩くにつれ,進むにつれ軽くなっていたことに。重くなると聞かされていた十字架でしたが,今日,初めて参加した私のことを,神様が気遣って下さり,だんだん重さを感じさせないようにしてくださっていたようでした。
 これからの信仰生活も同じように,恐れずに,主のみに信頼し,主が愛されている人々と共に心を合わせて歩むなら,その道は歩みやすくなり,今日ずっと私たちを照らしてくれた春の光のように,いつまでも輝き続けると思いました。先に歩かれた,日本26聖人のように・・。
 徳山教会では,オレギ神父様にご挨拶をし,最後に全員で,笑顔の記念撮影をし,37回巡礼ウォークも無事に終わりました。
 帰りは,徳山駅でお土産を買うのを楽しみながら,電車の中では,ゆっくりと座り,眠ることもでき,安堵の中,高松駅まで戻りました。初めての巡礼ウォークは,メンバーの方々に優しく導かれ,本当に穏やかな恵みの一日でした。長崎までこの恵みが,全員の上に続きますようにお祈りします。
第38回


第39回(2007年9月330号掲載) ヨハネ記

九州が見えた?
周南市戸旧山〜防府新橋郵便局14q
 6月16日(土),今回の参加者は13名。
 6時30分,桜町教会を貸切バスで出発。通り慣れた瀬戸大橋や山陽自動車道を通り,10時30分,今回の出発点である山口県周南市戸田山(山陽自動車道戸田高架橋下)に到着。
 お祈りをした後,田植えをしたばかりの水田,花菖蒲やアジサイ,そしていくつかの野草の花が咲く田舎道を,てくてくと歩き始めました。
 道路横の表示板では気温27度,やや高めの気温でしたが,風もあり心地よいスタートとなりました。
 今回のコースで二つある峠のうち,一つ目の「椿峠」を越え,静かな住宅地を歩いていると,「こんにちは」という大きな声が耳に入ってきました。道路横の運動場で野球の練習をしていた富海中学校の野球部員たちの声でした。あたりを見回しても,居ません。少し戸惑いながら,ちょこんと頭を下げ挨拶をしました。心温まると同時に少し疲れ気味の足に喝を与えてくれました。
 富海駅付近に差し掛かると正午前になっていました。道路近くの海辺で昼食くの海岸で昼食をとることになりました。各々持参した食べ物を,階段状の防波堤に座って食べ,30分ほどの休憩をとりました。すると,Tさんから思いがけない一言が。「正面の海のずっと沖に,うっすらと見える陸地は九州です。巡礼ウォークで初めて見える九州です。」
 この日は視界があまり良くなく,目を凝らして何とか見える程度でしたが,確かに陸地らしきものが見えていました。九州の何処かは分かりませんでしたが,長崎が近づいていることが実感できたひと時でした。
 休憩の後,今回の難関「浮野峠」も草道をかき分けながら何とかクリアーし,防府の市街地に入りました。防府はその昔,周防国の国衙(こくが,中央の役所)があった地で,その地名も「周防の国衙(こくが)」にちなんで付けられたそうです。国衙(こくが)跡は公園として現在も残されており,私たちはその中を通り抜け,午後3時過ぎ,今回の目的地点,防府新橋郵便局に到着しました。
 さて,先ほど見えた九州の影はいったい何処でしょう。帰宅後,早速地図を広げると,おそらく大分県の国東半島だろうと思われました。国東半島といえば九州の東側,方や長崎は九州の西の端。急に近くに感じた長崎でしたが,現実は甘くない。まだまだ長崎は遠いようです。
第40回(1日目)(2007年9月330号掲載) 小さきテレジア記

防府新橋郵便局〜山口市陶約16q
 私は,7月28日〜29日の26聖人巡礼ウォークに初めて参加しました。
 26聖人と私は,特別に縁があるように思います。去年の2月,東京に住んでいた時に,2月5日の26聖人の日が日曜日で,長崎の西坂で2時からミサがあるということを知り,母が急に思い立って「西坂に行こう!」と言って,一緒に西坂まで巡礼旅行に行きました。
 ミサの前に,26聖人の歩いた道を少しでも歩こうと言って,1q程坂道や階段を歩くことにしました。日曜日ということもあり,たくさん歩いている人がいました。その中で,名前は忘れてしまいましたが一人の神父様が声をかけてくださり,私たちが東京から来たことを知って,それはよく来たねと言って26聖人の話をしてくださいました。
 神父様は,26聖人の中で一番若い12歳のルドビコ茨木は,最後に処刑される前「神父様,次は何を歌いましょう?」と言ったのだと教えてくださいました。周りにいた神父様が,子供が恐がらないようにずっと歌を歌ってあげて,ルドビコ茨木は本当の心から「次は何を歌うのお?」という気持ちで言ったそうです。ステキだなあ…と思いました。
 その巡礼の次の月に父が高松に転勤になりました。桜町力トリック教会に来たことで,26聖人巡礼ウォークに出会うことができました。神様のお導きだと思います。今年に入り,巡礼の練習のための山登りに誘われて,こんな風にみんな準備して巡礼するんだなあと知り,私も巡礼ウォークに行こうと思いました。
 そして今回,巡礼に行くことができ,とても嬉しかったです。各自でロザリオを祈りながら皆黙々と歩き,途中で何度か休憩をとってまた歩き出します。直射日光が照りつけ,ほんの少しでも影を見つけて歩きたいくらいの暑さでした。26聖人が歩まれた道を歩いている。それを考えると気が引き締まりました。メンバーの方に,日焼け防止のための腕のカバーや,首を覆うもの,日傘まで貸していただき,何も持ってきていなかったのに完全装備で歩かせていただきました。
 お昼は,クーラーのよく効いた食堂へ入り,元気回復。皆でゆっくりと食事を済ませ,心新たに午後の巡礼を開始しました。午後も天気に恵まれ,途中で中越さんが合流し,楽しく歩き続けました。
 17時過ぎ,一日目の歩みを終え,迎えのバスに乗って湯田温泉へ向かいました。本当に,たくさん汗をかいて,よく歩きよく祈りました。ロザリオをたくさん,黙々と祈ることができました。神様に感謝です。
 これからも,巡礼ウォークのように,祈りながら少しずつ前へ進んでいけるようがんばりたいです。

第40回(2日目)(2007年9月330号掲載) ヨハネ記

山口市陶〜山口市佐山約10q
 今回は,一泊二日コースのうち二日目だけの参加,初めて体験する途中合流となりました。
 前日にTさんから地図をもらい,当日の朝,電話で合流地点を打ち合わせてからマリンライナーに乗り込みました。
 新幹線とタクシーを乗り継いで,指定された場所に到着したのは11時。バス停のベンチに腰掛け,近付いてくるバスを目で追いながら,15分経ち,20分経ち…。
 「場所を間違えたのかな。」という不安と心細さが頭をよぎったそのとき,中から人が手を振っているバスが目に入りました。「ああ,よかった。」迷子が家族に出会えたような安堵感がありました。神様に感謝です。
 さて,新山口駅(以前の小郡駅)を遠巻きに半周回る市街地のコースから今日のウォークは始まりました。すでに昼近くになっていたため気温がかなり高く,先が思いやられたのですが,「今回は皆の半分しか歩かないのだから。」と気を取り直して歩き始めました。
 ある信号機のない道路を渡ろうとしたときでした,交通量が多くて簡単に渡れそうもなかったのですが,1台の車が止まってくれました。「超ラッキー」とばかりに渡らせてもらったのですが,皆口々に「怪しいスタイルに,思わず止まったんじゃないの。」と冗談を言っては納得していました。
 そのスタイルとは,真夏というのに長袖姿,しかも顔はフル装備で隠している。またある人は,濃いサングラス(写真参照)。確かに怪しそう。
 冗談もこの暑さでは長続きせず,気付けば皆ほとんど無言で歩き続けていました。コンビニを見つけては飲み物を補給し,猫の額ほどの日影を見つけては休憩をとり,午後3時時過ぎ,ようやく本日のタイムアップとなりました。
 この巡礼ウォークが始まって今年で7回目の夏,年々厳しさを増す暑さに,「来年の夏は,そして再来年の夏は,ちゃんと歩けるのだろうか。」と,先の心配をしてしまう今回のウォークでした。
第41回(2007年12月331号掲載) Frひであき記

嘉川IC〜宇部市船木(約14km)
 9月29日6時半,巡礼者13名は貸切バスに乗り込み,桜町教会を後に26聖人巡礼ウォークへと旅だった。4時間後,今回のウォークの出発地点(道標によると「下関まで51q」)に着いた。ここで,H田さんから参加2度目の私は巡礼の十字架を首に掛けて頂いた。間もなく,先頭に立つT田Aおみさん,T田Hろしさんに続いて一行は国道2号線を西に向かって歩き始めた。その辺りは,なんとなく物寂しい雰囲気が漂っていた。歩き始めて間もなく,この雰囲気にぴったりの名のレストランが現れた。
 その名は「おいはぎ峠」,店内に入ってみると,「笑顔無両『我々おいはぎ一族は笑顔で旅人からお金をいただいてます。笑顔は無料のサービスです』」との言葉がテーブル脇に掲げてあった。笑顔の接待を受けて昼食を済ませ,代金を支払って,店を出た。やはりサービス旺盛,剥ぎ取られた気分も頂いた。
 昼食の後,ロザリオを繰りながら26聖人の歩みを思い描きながら歩いた。大きな十字架こそ首に下げてはいるが,果たして私の巡礼にどんな意味があるのだろうか。答は直ぐには得られなかった。
 途中,体長不良で参加できなかったM宅さん,2日前に帰天されたフランシスコ神父様の報告があった。また来春長崎の修道院に志願して行くとのO島Mいさんの発表があった。苦しい時も悲しい時も嬉しい時も祈りはできる。祈りの不思議さと素晴らしさに改めて気付かされた。道の傍らに咲く彼岸花やウコンの花なども慰めと希望を与えてくれた。ある方々にとって醸造元での試飲の一杯は大きな元気づけになったに違いない。
 歩き始めてから4時間後,ウォークは終わった。バスを待つひととき,T田Mさえさんのオカリナ演奏にはやすらぎを得た。帰りのバスでは次々に食べ物が手回しされ美味しく食べた。そうだ。一日を終える頃になって巡礼に意味を見出した。26聖人も我々も同じイエス・キリストの道を歩んでいる。そして,昔も今も共通するものがある。それは,「ともに歩む」ということである。
 キリストの道を仲間とともに,ともに歩む時に勇気と希望を与えられる。今回の巡礼で味わった味だ。剥ぎ取られるどころか満ち溢れていた。
 巡礼一ヵ月後,長崎に行く機会があり,僅かな時間ではあったが,西坂の丘に佇んだ。真っ青な秋空の下に26聖人の像が輝いていた。そして祈った。主よ,この26聖人巡礼ウォークを祝福し実らせてくださいと。
第42回(2008年3月332号掲載) ルチア記

秋の長門路を歩く
 6時30分。早朝必死で自転車をこいで教会へ。マイクロバスに乗り込むとすぐに出発。と言っても行き先が今ひとつわかっていない。山口県のどこって言ってたっけ?まあ知らなくてもバスはちゃんとわたしを連れてってくれる。歩く時は皆の背中を見ながら歩けばよい。なんて思っていたのが甘かった。車中でのんびり眠気を催しながらおしゃべりしていたら,後ろに座っていたH田さんが耳元でやさしく囁いた。「いずみに原稿を書いてくれませんか?」目が覚めちゃったじゃないか。
 かくして,メモをしつつの巡礼ウォークとなった。
 前回終点の宇部市船木で26聖人のお祈りをして出発。今回参加者15名。十字架はT田Hろしさんと共に歩く。国道2号線(歩道なき道もあり,大型トラックが通ると風が起こり帽子が飛ばされる今回一番の難所)をしばらく歩くと山陽小野田市からは旧道山陽道ののどかな田舎の道が続く。「日本の原風景だね」と誰かがつぶやく。道の両側にはツワブキ,野菊,あけびそして時々草いちご発見(何回か味見したけど酸っぱ過ぎ)。おっ!栗も発見。でも虫食いだし小粒だし,お持ち帰りできず残念。昨年は大粒のを6個ほどお持ち帰りしたっけ。途中,三年寝太郎伝説のある寝太郎町で「ねたろう橋」を渡る。後でH田さんから聞いたのだが寝太郎は,3年3ヶ月寝た後わたしの故郷佐渡へ渡り,ぞうりの裏に付いた砂金を資金にして厚狭川から水を引き,荒地を豊かな水田にしたと言う地元のヒーローなのだそうだ。
 さて,顔を右に左にと花を愛でながら歩くのは最初の元気な内だけ。そのうち下を向いてロザリオを唱えながら黙々と歩く。祈りながら時々考えてしまう。もしわたしが,26人の内のひとりとして京都から長崎までの道のりを歩いたとしたら,それは喜び?それとも後悔?
 多分,歩いている誰もがいつも感じていると思うのだが,寒い時は暖かいジャンパーを着込み,足元は靴下にスニーカー,どこを歩いても自動販売機にコンビニがある,そんな恵まれた状況の中で歩くことに正直言って引き目を感じている。でも思う。比較してもしょうがない。ただひたすら歩く,ただひたすら祈る,それでいいかなと最近自分に言い聞かせている。
 次回はやっと九州の地を踏む。
第43回(2008年3月332号掲載) ヨハネ記

ついに九州の地を踏む
山口県山陽小野田市福田〜北九州市門司
 3月1日6時30分,初参加の4人を含めた17人は,バスで桜町教会を出発。12時10分,山陽小野田市福田の前回のゴール地点からウォークをスタートしました。
 いつもは,その日のペースや体調により,「目標地より少し手前だけど,今日はここで終わりにしましょう。」などと,ゴール場所を柔軟に決めていたこの巡礼ウォーク。
 でも,今回は違いました。必ず到達したい目的地がありました。それは北九州市の門司港,すなわち九州の地を踏むことでした。
 巡礼ウォークメンバーのO島Mいさんが,長崎の修道院に入ることが決まり,今回が最後のウォーク参加になることから,「彼女を巡礼ウォークで九州まで送りたい」とのメンバーの思いから,今回のウォークが企画されたからでした。
 今回は1泊2日で,約29kmの行程,1日目はいつもより5kmも長い約19kmが目標でした。気合を入れて歩き始めた一行は,いきなり難所に遭遇。峠道が20mほどのぬかるみになってたのです。引き返すことも出来ず,慎重に足元を選んで進むことにしたのですが,結果は,ほぼ全員靴がドロドロ。
 ウォークはまだ始まったばかり,気を取り直して再出発,峠を越えると,そこは本州最後の市,下関市に入っていました。
 九州が近付いたことを実感しながら,旧山陽道をひたすら西へ西へと歩いていきましたが,12〜13kmあたりに差し掛かると,さすがに足の裏に痛みを感じてきました。腕時計を見ると午後5時前,太陽も西に傾き徐々に下がる気温と徐々に強まる足の痛みに耐えながら,26聖人の苦難を心に留め,残りの道のりを黙々と歩きました。
 午後6時頃,下関市長府の旧道は,ちょっとした難所でした。路側帯が色分けされているにも関わらず,ほとんどの車はそれを無視,歩行者のすれすれをスピードを出してすり抜けて行くのです。当てられそうな恐さを感じながら道路際をへばり付くように歩き,やっとのことで無事,この日のゴール地点に到着しました。神に感謝。
 近くのホテルで一晩疲れを癒し,2日目の朝8時30分,ミサに与るため長府教会に向かいました。ミサでは冒頭,神父様から我々巡礼団の参列が紹介され,巡礼ウォークへの神さまのお恵みをミサの中で,信徒の皆さんと共に祈って下さいました。ミサ後,教会を出ようとする我々は引き止められ,長府教会の皆さんと肩を組み円陣になり,ウォーク・イン・ザ・ライトという歌を歌う(歌わされる?)ことに。
 長府教会の皆さんのパワーに圧倒されながら,教会を後にした一行は,前日のゴール地点に戻り,本州での最後のウォークを開始しました。
 城下町長府の街並みを通り抜け,小さな峠道を通りきると,目の前に関門橋の橋脚が見えてきました。九州がいよいよ目の前に近付いてきました。関門橋の下で,しばしの休憩をとった後,門司港への連絡船が出航する唐戸桟橋を目指しました。
 午後2時,桟橋付近に着いた一行は,近くの観光施設「唐戸市場」で,遅い昼食をとり,午後3時発の門司港行き連絡船を待ちました。桟橋横の碑には,この場所がその昔「堂崎の渡し場」と呼ばれる公式の船着き場で,ザビエル,そして日本26聖人たちがこの渡し場を通ったことをなどが書かれており,いよいよ九州に渡れることに加え,まさにこれから渡ろうとする航路を26聖人が通ったことが確認でき,とても感慨深いものがありました。
 連絡船はスピードがあり,5分という短い時間で門司港の桟橋に到着,ついに九州に上陸,今回のウォークの目標が達成できた瞬間でした。
 今回のウォークで九州の地を踏むことができたのは,T田さん,H川さんが立てられた綿密な計画があったことは言うまでもありませんが,「なんとしても九州にたどり着く」と言う全員の思い,そして,神様の恵みによるものと,感謝しています。
第44回(2008年7月333号掲載) マリア・ミカエラ記

 5月31日「聖母の訪問」祝日の朝,いつもの通り6時30分,バスに乗り,カンバラ神父様からの祝福を受け,11人は桜町教会を元気に出発しました。梅雨空の中にも,巡礼の一つの目的に向かって,参加者には恵みの笑顔。
 今回は一泊二日,前回の終点北九州市門司港近くから,遠賀郡までの1日目18km,2日目12kmの旅でした。比較的歩きやすい道となり,現代の賑やかな街の中を通って進んで行きました。門司港付近では,煉瓦造りの建物も多く,異国情緒的な雰囲気を感じることができました。私は約1年ぶりの巡礼参加となり,十字架をかけて頂き,1日目を共に歩きました。前に一度かけた時よりもずっと体になじむ感じがあり,素直に十字架に信頼を寄せて歩む恵みを与えて下さいました。そして,その時の思いを今この原稿の中で書かせて頂く恵みを共に。
 普段からウォーキングをしている私ですが,この一日目の巡礼ウォークは疲れました。久々ということもあったのでしょうか。とにかく,一日目の終点目的地黒崎教会までが遠くて長く感じられました。T田さんや,他の方に聞いても「こんなもんでしょ。普通でしょ。」とおっしゃいました。…でも…黒崎教会へ着く頃には,全員疲れもピークでした。のどかな道も少なく,現代の賑やかな通り,自然からかけ離れた道は心身を萎えさせてしまう気がしました。
 そして,無事に黒崎教会へ着き,夕方6時30分からのミサにも与ることができました。主任のベリオン・ルイ神父様をはじめ,信徒の方々が暖かく迎えて下さり,萎えた体も癒されました。ベリオン・ルイ神父様の流暢な日本語での説教では,今日一日の巡礼を通して捧げることができた安堵感から眠気は隠せませんでした。ご聖体にあずかると,私たちはすぐにバスに乗り込み宿泊予定の「国民宿舎めかり荘」へ8時までに着くために大急ぎで黒崎教会を後にしました。
 宿舎では,美味しい食事と,体を癒すお風呂で一日の疲れを取り,くつろぐことができました。また,今回同じ部屋でバスも隣だったH川Mみさんには,海外旅行でのアクシデントやテレビの話など日常生活での話をおもしろおかしく聞かせて下さり,巡礼を通しての楽しい思いでの一つとすることができました。
 2日目の朝,昨晩の疲れも消え,ほぼ全員が元気な笑顔で出発。昨晩合流されたT田Hろしさんが加わって12人での巡礼ウォークです。宿舎を出て,次回の巡礼ではおそらく見ることのできない関門橋とあたりの景色を記念に残すために撮影スポットへ寄り,6月1日主日の朝を全員の笑顔で撮影。また,それぞれが携帯電話などのカメラであたりの景色を同じように撮っている姿はとてもユニークでした。
 前日の黒崎教会までバスで移動し,再び巡礼開始です。昨日少しお疲れの様子が感じられたT中J子さんが2日目の十字架を共にされることになりました。十字架は必ず私たちの心の深い痛みに救いを与え共に働いて下さる。個人的には2日目の巡礼ウォークは心身共に少し軽くなった気分で歩くことができたのも十字架の力でした。
 途中,水巻教会へ寄り,聖体訪問し,巡礼の恵みと感謝の祈りを捧げることができました。そして,休憩を挟みながら,順調に進み,2日目の巡礼も遠賀川の橋を渡ったところで,記念写真と共に無事終了。神に感謝!
 さて,今回私が巡礼に参加し学んだことは,大人も子供の小さな歩みも共に一列に並んで歩く巡礼の姿は印象的で26聖人が歩き抜いた姿と同じであると感じたことです。
 ただ,ひたすら主イエス・キリストに信頼して,苦しみや孤独の中にも一歩ずつ主の後に従う真実な姿があったからです。
 これからも,26聖人にならって,日々与えられた恵みを通して,一歩ずつ確実に希望へと繋ぐ信仰の道を続けていくことができますよう,祈り歩みます。
 「西坂の丘」26聖人と共に聖地長崎で賛美の歌を捧げるその日まで。
第45回(2008年12月335号掲載) アロイジオ記

9月27日(土)〜28日(日)遠賀川〜大根川
 今回も一泊二日貸切バスを利用しての巡礼となりました。朝6時桜町教会出発,約6時間かけ前回終点の遠賀川の堤防を目指します。12時ころ昼食をすませ,出発点に到着。参加者9名,祈りを唱えて12時40分ころ,さあ巡礼の始まりです。
 緩い峠を二つ越え,九州教育大学の付近にさしかかりました。赤間の宿として栄えたところです。今回の道中では,この付近だけ往時宿場町だったことをうかがわせる案内板などを見ることができました。一日目の終点はJR東福間駅に設定していますが,出発点からは約20km,暗くなる前にたどり着きたいと一生懸命歩きました。ちょうど西向きのコースで太陽に向かってひたすら歩き,日が沈んだ直後目的地に到着18時20分ころでした。その後バスで宿泊の神湊スカイホテルへ。温泉と巨大なイカ刺しで一日の疲れを癒し床につきました。
 2日目は古賀教会でミサに与りました。偶然宮原司教司式により堅信式が行われる日で,多数の参列者と一緒に聖霊のお恵みを受けました。
 ミサ後,JR東福間駅に向かい,祈りの後二日目の巡礼開始です。堅信式でミサが少し長かったこともあり,終了時間を16時ころと考えて,行けるところまで歩きます。出発後「腹が減っては戦が出来ぬ」というわけで,ファミレスとラーメン屋に分かれ昼食タイムとしました。ラーメン屋グループはあっという間に食事が終わり,近くの公園でくつろぐことしばし。再び歩を進め,ちょうどコース上にある古賀教会の前にさしかかりましたので,トイレ休憩も兼ねまたまた訪問。高知で司牧をしておられた主任司祭ジュード神父様と,短い時間ですが再会を喜び合いました。その後,さらに巡礼を続け,大根川堤防のコンビニを終点としました。予定の和白付近までは行けませんでしたが,充実した巡礼となりました。
 京都を出発してから8年,九州に入り,行き帰りのバス往復だけで12時間ほど要するため,移動手段が問題となってきました。基本的に土日の行程ですので,金曜日の夜,船で高松を発ち翌土曜日の早朝九州に上陸して一日巡礼。一泊してミサに与り更に巡礼し,バスで帰ってくるという案があり,有力候補です。ただ,丸一日巡礼できると言っても,歩ける距離は体力的な要素からも決まってきますので,ちょっと悩ましいところです。
第46回(2009年3月336号掲載) M・インマクラダ記

2月7日(土)〜8日(日)大根川〜JR下山門
 2月7日朝6時9分発のマリンライナーで出発。駅に集合したのは,6名。広島でAさんが合流。鹿児島本線に乗り換えて,古賀駅へ。駅で待ち合わせた今治出身の「ますいさん」の車とタクシーで前回の終点まで。
 今日の予定は20km。ひたすら歩く。和白・奈多・雁の巣を過ぎて,途中のコンビニで弁当を購入。そこに行くまでに「白いタイヤキ」を賞味。身体は正直なもので,甘いものが入ると俄然足取りが軽くなる。海の中道に向かう。松林や砂地が続く,JR香椎線の線路際を歩く。ほとんど休み無しで海の中道海浜公園駐車場にさしかかり,駐車場入口の丘になっている所で昼食。小一時間をそこで過ごし,出発。
 突然「あれや!」の声。松林の中に船を改装した「やすらぎ丸『金印ドッグ』」の看板。ホタテ・肉・タコ,様々な物が入った有名なホットドッグが500円。
 そこを過ぎると,海の中道と志賀島を繋ぐ砂州上の道路に出る。右側は玄界灘,左は博多湾。風がきつい。砂に触ってみる。細かい。貝殻や石が荒波に揉まれて細かい細かい砂になったのだろう。歴史の教科書に出てきた,「漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印が発見されたのがこの志賀島だ。1784年に金印が発見された場所が現在金印公園になっていて,港から片道20分位とのこと。猛者たちは高速艇が出帆するまでの時間を利用して往復した。高速艇が着いた博多港はネオンで明るかった。後は,食事をして寝るだけ。「あー,よく歩いた!」
 2月8日朝8時半ホテル発,昔の船着場と言われる博多中学校を巡礼の出発点として歩き始め,途中9時半からの大名町教会のミサに与る。聖堂は2階にあり,聖堂入口には「勝利の聖母」像。1896年にパリから寄贈されたご像だと言う。聖堂内は線画の十字架の道行きやロザリオの喜び・苦しみ・栄えの玄義の場面がステンドグラスで描かれていた。ミサには手話通訳があり,男女5名の聖体奉仕者や侍者の子供たち(男女)が祭壇に並ぶ。司式は櫻井神父様で「受けた恵みに感謝する生き方が,キリスト者の生き方」という意味の説教の後,赤ちゃんの洗礼式があった。ミサ後,教会に初めて来た方などの紹介があり,モー神父様率いる台湾からの巡礼団,それから私たちも紹介された。温かい雰囲気を感じた。深堀司教様の弟(8男)さんの奥さんや,番町に居た方との再会もあり,予定の時間をはるかに過ぎた。
 別れ難いが,教会を出て今日の予定を歩き始める。腹ごしらえは,博多めんちゃんこ亭。麺とちゃんこ鍋がドッキングしたものだ。私は味噌牡蠣めんちゃんこにする。食べれば元気が出る。再び歩き始める。
 生の松原にある「元寇防塁」を訪ねた。弘安の役(1275年)における激戦地で,元の再度の襲来に備えて,石造による防塁が築かれ,現在も遺構が残っている。ちょうど引き潮で,子供のように波と戯れた。
 歩くスピードもやや遅くなり,下山門駅で終わりにする。今日は10km。博多経由で帰る。孫に会うAさんと藤崎で分かれて,一路高松へ。
(え?食べる話ばかりだけど,何しに行ったのかって?勿論巡礼です!ロザリオ片手に祈りながら歩きましたよ。巡礼で無ければ,1日に20kmなんて歩けません!)
第47回(2009年6月337号掲載) 5月23日(土)〜24日(日)

 1日目 ヨハネ記
福岡市下山門〜二丈町浜窪
   5月23日(土)朝6時,桜町教会に集合したのは9名,初めて利用するジャンボタクシーに乗り込み,九州へ向け出発しました。山陽自動車道,九州自動車道を経由し,有料道路を西に走ってしばらくすると,テレビで見覚えのある福岡ドームの姿が目の前に。高松を出発して6時間半,そろそろ目的地が近付いたことを知らせてくれました。
 12時55分,福岡ドームを過ぎてまもなく,車は今回のスタート地点,福岡市下山門の九州大学演習林入り口に到着しました。  車を降りた後,いつもの「日本26聖殉教者への祈り」を唱え,加えて,ウォークのメンバーに十字架をくださった深堀司教様の体調の回復のために祈り,今回のウォークを始めました。
 この日は,気温は高かったのですが,福岡湾の海岸沿いの道で,心地よい潮風が吹き,比較的快適なスタートとなりました。ペグマタイト岩脈とよばれる花崗岩の大岩群を,眼下に見ながら海岸線を歩き,長垂海浜公園に到着すると海岸線はそこで終了,次は,福岡市から前原市へ続く市街地の道が待っていました。
 風があるとはいえ,市街地の道は影が少なく,照り返しもあり暑い。パチンコ店横のわずかな日影や,川沿いの座れるスペースなど,手頃な場所を見つけては休憩し,目的地を目指しました。休憩では,お菓子を振舞って貰い疲れた体に栄養補給ができ,更に団父Tさんからのクイズで,心(頭?)の栄養も貰うことができました。そのクイズとは,「アメンボは漢字でどう書くの?」でした。応えは,「水馬」。うーん勉強になりました。このクイズ,つぎ誰かに教えちゃおう!
 各自ロザリオの祈りを唱えたり,おしゃべりをしながら歩き,福岡県最西の町,二丈町に入ると午後6時近くになっていました。海に突き出た小さな半島にある「箱島様」という神社に立ち寄り,午後6時10分,1日目の終了地点である二丈町浜窪に到着,約16kmの行程を終えました。
(団父=だんぷ。巡礼団の父の意)


 2日目 ベロニカ記
二丈町浜窪〜二丈町福井
 ウォーク2日目,博多グリーンホテルの気持ちよいベッドで目覚め,昨日25213歩(15・8km)歩いた疲れもすっかり消えて,両手両足を思い切り伸ばし,わが身の健康を確認して,思わず感謝のこころが沸きあがった。
 すがすがしく晴れた爽やかな朝,ホテルの朝食でまず一日のはじまり,コーヒーですっきり目覚めていざ出発。  9時より「浄水通教会」で日曜日のミサにあずかり,信者の皆さんとあれこれ話して交流した後,では行ってきます,と手をふり10時15分ころ元気よく教会を後にする。
 バスにて昨日の終点,箱島神社へと向かい,26聖人への祈りを全員で唱えて10時30分ころから歩き始めた。最初は海沿いのゆるやかなカーブの道を,老若男女8名はそれぞれの思いを胸に歩いて行く。都会のにぎやかさから離れた田園地帯ではあるが,車の往来は結構たくさんで時には危険を感じてしまう。歩く道の海側にはいろいろの植物が茂って,特に目立ったのは人の背丈より高く育った「ウド」。ウドの大木とはよくいったものだねぇなどとなごやかに雑談していたものの,前方を見ると歩道がぷっつり切れてなくなっている。片側は海,もう片側は山,車はブンブン,これでは危なくて事故にも遭いかねないと,全員で相談の末,今回はこの地点で終了とし,特に危険なこの区間はワープしようと決定した。そんな訳でこの日歩いたのはわずか8123歩(5・1km)で少々あっけない感じではあった。
 思えば2001年3月に京都を出発し,この九州までよくも歩いてきたものよと我ながら驚いている。佐賀県に一歩は入り,目指す長崎はもう近い。かの西坂の丘にたどりついた時,胸にはいったいどんな思いが去来するのだろうか?
第48回(2009年12月339号掲載) 10月17日(土)〜18日(日)

 マリア・ミカエラ記
二丈町福井〜唐津市原〜JR岩屋
 10月17日(土)巡礼1日目,朝6時,曇りのためややうす暗い中,桜町教会で集合した私たち巡礼団9人は,それぞれの笑顔と希望のうちに「第48回26聖人巡礼ウォーク」を出発した。天気が少し心配されていたけれど,なんとか大丈夫な空模様。出発したばかりのバスの中では,小学生H川りょう君の「お眠りモード」をはじめ皆静かであった。私もコピーをして持ってきていた「教会の祈り」で朝の祈りを静かにし巡礼の無事をお願いしていた。バスは順調に高速道路を走って行く中,いつもの通り休憩場所にしているパーキングエリアを何カ所か止まって,朝食や昼食を済ませ巡礼の準備を整えていきました。バスでの移動7時間を過ごし,前回の終着点福岡県二丈町佐波の国道202号線に到着,いよいよ巡礼のスタートです。いつものようにまず祈りをし,司教様の十字架とO浦さんの遺骨の担当者を決め,今回は十字架を私が,遺骨をH川めぐみさんが持つことになり,2人の胸にかけて一緒に歩くことになりました。巡礼団の団母,T田さんによる準備体操も忘れずに,元気よく秋晴れに広がった中を歩きはじめます。歩いていると,それぞれの目にいろいろな景色,また妙なものが入ってくるもので,この日もすぐにH川さん親子がアスファルトの道路脇で産卵することになってしまった,かわいそうなトノサマバッタを発見したのです。皆がそれに群がりカメラをしばらくの間バッタに向けていた姿は面白かった。適当に休憩を入れながら,順調なペースで進み,途中仕事で先に九州に来ていたH口末男神父様との約束の場所,JR福吉駅で合流することもできました。(と思っていましたが,末男神父はこの駅で30分も私達を待っていて下さった。末男神父様おゆるし下さい)末男神父様が加わって10人の巡礼団となり再び歩き出す中,道幅が狭く歩くのに危険な道は断念し,車での移動となりました。すると,すぐそこには県境,いよいよ佐賀県唐津市です。小さな巡礼者りょう君に唐津市への最初の一歩をゆずり,次々と私達は佐賀県唐津市へ歩みを繋ぎ踏み入れました。眺めの美しい海岸線を歩き,「虹の松原」通って田園地帯へと歩き続けました。この時期,どこの地域でもお祭りがピークを迎えていて,ここ唐津市でも「唐津くんち」の一つに出会いました。カラフルな色調と庶民的なモチーフの山笠。地元の子供たちも喜んで参加をしていました。賑やかなお祭りを通り過ぎ,ようやく本日の巡礼13.5kmも無事終了となりました。唐津城を眺めながら宿泊先のホテルへ向かい,疲れた体を癒します。(お風呂と食事と少しのお酒で・・)
 10月18日(日)朝7時ホテルで末男神父様によるミサを共に捧げます。お説教では「長崎にいるとき,国道202号線,203号線は何回も車で通っていたが,26聖人が歩いた道とは知らなかった。今,少し反省している。」「26聖人ががこの道を歩いたのは,1月末の木枯らしの中でしょう。今日は,歩きながら,彼らの想いに触れてみましょう。」と語られ,私達一人ひとりを黙想へ導いて下さいました。さて,十分に朝食をとり体力をつけてホテルを出発です。昨日から巡礼を繋いできた続きの地点へ移動をし,今日も祈りと共にスタートです。本日の司教様の十字架は,小さな大天使ガブリエルりょう君が,O浦さんの遺骨をM宅さんがそれぞれ担当することになりました(昨夜の夕食時に話題になった,ジャンケンによって)。本日も抜群のウォーク日和の中,元気に歩きはじめた私達でした。過ぎ越して行く山や田畑の風景には,これからの秋の深まりを感じさせる景色が広がり,穏やかでのどかな美しい日本の「里の秋」でした。途中では,その地域の人々が田畑の水路を掃除する姿が所々で見られました。また,農作業中のおばあさんに話をかけられて,お孫さんが四国の大学に行っていた時のことを九州弁で優しく語って下さる,心安らぐ出会いもありました。しばらく歩き続けると,相知(おうち)という町へ入って行きました。街道では「相知(おうち)」くんちの行列に出会いました。「相知くんち」とは,熊野神社の秋祭りのことで,江戸時代の大名行列を模して,奴(やっこ)姿の若衆らが高さ7mの山笠とともに練歩く「羽車(はぐま)行列」が名物だそうです。昨日の山笠と同じように色調がなんともカラフルで高松では見られない珍しい賑やかな山笠行列のお祭りでした。秋にしては少し強い日差しが巡礼中ずっと射していて,最後の方は皆汗ばんでいました。それでも皆頑張って,黙々と歩み続けて,ようやく終着点のJR岩屋駅に辿りつき,2日間でトータル25kmを歩きました。皆それぞれの足や腰など痛みと疲れがでていましたが,皆の顔は達成感で輝いていました。帰りのバスの中では,映画を2本楽しみながら,慣れた運転手さんのおかげで,順調に走り過ぎ,五色台の方へ回って小さな夜景を見て教会に戻り,「第48回巡礼ウォーク」を無事に終えることがきました。神に感謝!
 今回の巡礼で私は,繋いでいくことの大切さを学びました。この巡礼ウォークも目指す長崎西坂まで,いよいよあと3回で辿り着きます。2001年からスタートし,多くの方々を通して一つ一つの区間を歩き繋いで来ました。初回から参加の方,途中・後半から参加の方,1回のみ参加の方や今は神様のもとに旅立たれた方,修道者へと導かれた方など,毎回違うメンバーでそれぞれ一人ひとりの想い・祈りをもって26聖人の歩みを繋いできたのです。私も,わずか数回ではありますが参加できたことに,大きな喜びと恵みを感じます。時代は変わり,環境も変わり,人が変わりながらも,一人ひとりが心を込め唯一の信仰を繋いでいけば,そこには神の愛と力が限りなく広がり生き続けていくことを確信したのです。
 巡礼ウォークに参加する際にも私は,巡礼団の方々から参加へのお声をかけていただきます。そのお力添えによって多くの恵みを受けることができ感謝しております。こうした愛を人から一人ひとりが希望で繋いでゆく信仰を,これからも歩み続けたいと思います。
 この文章を書くにあたって資料を提供して下さったこと,文章を書く機会をお与え下さったこと,仕事と家庭の日々の生活の中で,いつも私を支えて下さっている多くの方の思いやりと優しさの中に神様の愛が注がれていることに感謝します。
 では,26聖人巡礼ウォークを通してキリストの愛が世に広がり,時代を越えて繋がっていくことができるようお祈りをしながら,この巡礼記を終わります。

 
第49回(2009年12月339号掲載) 11月28日(土)〜29日(日)

 1日目 ペトロ記
JR岩屋〜北方町大崎(馬神トンネル南)
 平成21年11月28日朝,6時ジャスト,メンバーも揃い,大川タクシーのジャンボタクシーにて,カトリック桜町教会を出発した。
 途中,福山SA,佐波川SAで休憩,古賀SAで昼食を済ませ,多久ICで,高速道から国道203号線へ下り,巡礼出発地点,JR九州唐津線『岩屋駅』へ,午後1時過ぎ到着した。岩屋駅舎は『風舎』と名付けられ,駅名板の裏には,地元出身の画家,中島潔氏作のイラストが転写されているそうだ。
 さて,巡礼出発に当り,『お祈り』『十字架引継ぎ』『準備体操』等恒例儀式後,午後13時15分『岩屋駅』を出発した。
 しばらく歩いていると,『木』と言う地名が目に入り,何と読むのか思案していると,ローマ字入りの標識が読み方を教えてくれた。『NAMASUGI』だそうである。またしばらく行くと,『厳木』『KYURAGI』とあり,佐賀県には,読み難い字が多いなと云う印象を受けた。
 厳木町では,厳木駅,高校,役場,中学校等を横目で見ながら,『道の駅厳木』に到着。そこには,高さ数メートルの回転する『佐用姫像』が有り,その前で,記念写真を撮影したり,土産物の観察等した。
 国道203号線は車も引っ切り無しで,国道とはいえ,山道に差し掛ると,歩道が無い処もあり,多少,身の危険を感じ緊張した歩みだった。笹原峠を越え多久市に入り,国道203号線から県道24号線を南下,多久駅を左に見て,多久町に入り,私立病院,多久郵便局,中部小,西渓中を過ぎて,町なかを抜けて,桐岡を過ぎると登坂になって,右に『佐賀クラシックゴルフ倶楽部』の入口看板を通り越して『馬神トンネル』の入口が見えて来る。『馬神トンネル』は,全長約600メートルのトンネルで,排気ガスを吸わないように,タオルを顔面に当てて歩いた。
 トンネルを抜けて1キロ足らずの処が本日のゴール『北方町』(喰道楽駐車場)到着。以降はジャンボタクシーにて旅館『なかます』へ直行した。入館後は,入浴・会食,今後の巡礼見通しとして2回で殉教地『西坂』へ到着できるとの報告を受けた。
 翌日8時30分旅館出発。武雄カトリック教会は木造2階建てで丘の上に建てられており,急な坂を登る必要があった。建物は旧建物を解体再利用したものであるとの事だった。古く価値のある雰囲気が感じられた。
 9時からマネルバ・ロレンツォ神父様の司式でミサが行われ,ミサ後,信者さんと談笑しながら,お茶をご馳走になった。
 10時頃,ジャンボタクシーで本日の出発地点の『北方町』へ向かった。恒例の儀式と準備体操後,T田ひろしさんへバトンタッチして,2日目の巡礼を開始した。


 2日目 ペトロ記
北方町大崎(馬神トンネル南)〜武雄町武雄(渕の尾ダム)
 2日目。宿は武雄温泉のすぐそばで,7時過ぎには近くに朝市が立ち,温泉卵など買っているメンバーもいた。行程の関係で昼食が遅いので,朝食をしっかりとって8時30分に宿を出発する。9時,武雄教会にてごミサにあずかる。司式はミラノ外国宣教会のマネルバ・ロレンツォ神父様で,鹿島教会と兼任とのことであった。普段は鹿島教会にお住まいになっているそうである。武雄教会は幼稚園の上にあって,畳敷きの教会であった。会衆は我々のメンバーを含めて20人余りであった。落ち着いた家庭的な雰囲気の教会である。我々をあたたかく迎えて下さった武雄教会に別れを告げて昨日の馬神トンネル先の中継地点に車で向かう。10時40分祈りを唱えて中継地を出発。しばらく先導するが,雨天用に新調した靴があわず靴擦れをおこして,途中から足を引きずっての歩行となった。中継地の峠から下り,北方町を通って武雄市内に入る。温泉街を抜けて再び峠にさしかかったところで14時となり,本日予定の行程を無事終了した。わずか12キロのところを,靴ひもをゆるめ,足を引きずりながらの情けない歩行となったが,メンバーからの靴に関するアドバイスと薬の処方を受けながら,なんとか落伍せずに完歩できたことを感謝したい。
 2001年3月に出発したこの巡礼ウォークは,メンバーを増減させながらも駅伝のタスキをリレーするように中継しながら49回目を迎え,なんとかあと2回でゴールの西坂まで辿り着ける地点まで到着することができた。聖人殉教者を記念する巡礼なので,タスキに書かれるべきは「栄光」の文字がふさわしい。もちろん殉教者は「自らの栄光」ではなく,「神の栄光」を現したわけである。この巡礼の唯一の定めは,各自が途上でロザリオの祈りを唱えることである。そうであれば,参加者はメンバーを変えながらも,出発地の京都から「栄唱」を唱えながら巡礼していたのである。まことに聖人殉教者を記念するにふさわしい。
 「栄光は父と子と聖霊に。初めのように今もいつも世々に。アーメン」


巡礼あれこれ
 ペトロ記
 朝まだ暗い6時前に教会へ集まった巡礼団9名はジャンボタクシーに乗り込み,佐賀県唐津の南方,JR岩屋駅へ向かった。前回の到着地点である。車が山陽道に入るころ,紅葉,黄葉に彩られた山々はちょうど朝日に照らされ,青空を背景に一段と美しく映えて見えた。今日もお天気に恵まれそうである。車は快調に走り,九州古賀SAで昼食をとったのち1時過ぎにはスタート地点に着いた。
 巡礼開始のいつもの祈りを唱え,深堀司教様から預かっている銀の十字架と,巡礼の途中で先に天国へ行ってしまった大浦保樹君のご遺骨を次の当番に授与して巡礼は始まった。小春日和の穏やかな日差しのもと,今日の予定の16kmの地図をみる。途中までJR唐津線とほぼ並行して歩くことになるが,その後は中通川に沿う田園地帯を歩くこととなっている。しかし国道はのっけから「歩道はここまで」という標識が表れて,一同は小さくまとまって歩く羽目となった。
 巡礼の決まりとして各自がロザリオを一環以上唱えることとなっているので,皆は必死の思いで一生懸命に祈ったことと思う。厳木(きゅうらぎ),木(うつぼぎ)といったなかなか読めない町並みを通り抜け,やがて歩道も戻ってきて一安心したとき,ふと見上げるとバス停の駅名が桜町となっているのを見つけ,思わず皆で集合記念写真を撮ってしまった。その後は比較的に安全な道路状況であったが,最後に馬神峠のトンネルを越してからまた歩道がなく冷や汗ものであった。
 翌日は武雄教会に行き,十数名の信者さんとミサ後しばらく談笑したのち,残る11kmの巡礼をした。その途中,最後に西坂へ入るときには長崎市内の10kmほどを残しておき,桜町教会の大勢の人たちと一緒に巡礼ができるといいね,という話になった。岡山を巡礼で通った時にはちょうど26名の参加があったことだし,今度もその位の人数を期待しながら,ちょうど26聖人の祝日のミサで終わるようにしたいね,ということになった。
 午後2時,予定地点の少し手前であったが,皆はジャンボタクシーに乗り込んで帰路に着いた。高速道路に乗ったころからポツポツと雨が降り出した。今回の巡礼も「まもられていた」と感じさせられる巡礼であった。
第50回(2010年4月340号掲載) 1月16日(土)〜17日(日)

 1日目 M.インマクラダ記
武雄町武雄(渕の尾ダム)〜俵坂峠
 1月16日朝6時,桜町教会を出発。今回の参加者は,怜くんを含めて11名。私はバスに身をゆだねてひたすら眠りを貪る。闇から曙に移る頃に,朝食。福山SA。ここのパンは焼き立てで美味しい。いつもは口にしない牛乳も,濃くておいしい。再び,山陽自動車道を走る。道の横には雪が白く残っている。当然,遠くに見える山は雪山だ。九州・長崎自動車道とひた走る。昼食を済ませ,佐賀県武雄に。既に午後2時だった。祈りをささげ,“やっくん”と共に歩き始める。途中,長崎街道の標示があるが山道でもあり,安全策で舗装道路を歩き,途中から長崎街道に入る。ロザリオの祈りが3環終わった頃,両側に茶畑が拡がってくる。嬉野の茶畑だ。26聖人の時代にこの茶畑はあったんだろうか。国道34号線を歩く。夕風が頬にさわる頃,嬉野温泉街に到達する。が,今夜の宿を横目に見て,湯煙の街を峠に向かう。風が冷たくなる中を,口数少なくただ歩く。長崎街道の説明板や苔むした番号石が立つ中,温かそうな足湯があちこちで誘惑する。数人の懐中電灯と通り過ぎる車の明かりを頼りに,今日の目的地「俵坂峠関所跡(佐賀県嬉野町と長崎県東彼杵町の県境にある標高186mの峠)」 に着く。午後6時過ぎだ。今日の歩きは15km余り。記録写真を撮って,今日は終わり。宿泊先までバスで移動。宿は,嬉野温泉の中でも,美肌の湯で有名な「和多屋別荘」。露天風呂で今日の疲れを癒す。聖人達は温かい湯も温かい布団も無く,寒い日々を過ごされたんだろうなと思っているうちに,いつしか眠りについていた。

 2日目 マリア記
俵坂峠〜東彼杵
 2日目空高く霜一面の朝を迎えた湯けむりの前で記念撮影,バスで武雄の教会へ向かう。神父様の笑顔で迎えられる。今日の福音はカナの結婚式,ミサ後皆様のもてなしを受けた小梅の砂糖漬け,彼杵のお茶は口にやさしく格別だった。障子の光が聖堂をなごませ,十字架の道行が印象的だった。畳の間で近くの方とそれぞれ語り合った。神父様は,新年会で不在,御高齢なのに三つの教会をかけ持ちしてお身体のことを心配されておられた。主の晩餐の絵が私達を祝福してくれているようでもあった。教会の皆様と別れを惜しみ今日のスタート地へ向う。山あり,川あり,峠あり,茶畑が広がっていた。昨日の16kmに比べて,船場までふっと,ウォーク参加のきっかけを思いめぐらす。たしか女性連合長崎大会の初めて参加した時のことだった。自由時間を,U田さんと26聖人記念館にタクシーで往復したその思いが今に至る。私の唯一の挑戦は広島から始まった。以後積極的に参加し,遂に最終回その式典に臨めるのが,今日のミサの奇跡に近く,私に起こりつつある現実の一つである。殉教は,私達の心をゆさぶり励まし砕き育む学びも多々あった。絆も深められそんな気持ちにあやかったように思う。
   祈りつつ 想いも馳せる 今朝の冬
 こうしているうちに港についた,百メートル程浜辺を歩いて二枚の桜貝を拾った,そして26聖人船場跡,今日の目的地である。そこには,聖ペトロ・バウチスタの「涙の石ぶみ」が建てられていた。女性連合の分散会は,本原教会のバウチスタの保護の教会だったことを思い出し再び驚かされた。諸聖人の通功の中に私達は生かされていることを改めて痛感した。
 「涙の石ぶみ」には,キリストを伝えるために死地に向かう,それは限りなく喜びである。しかしこの仕事を継ぐべき同僚まで死んでゆく。すべて奉げた仕事が全壊していくかに思われ,とめどない涙が落ちる。と記されてあった。死のまぎわのペトロ・バウチスタの石ぶみは,どっしりとその信仰の重みを私達に伝えているようである。
 対岸の時津港が海のはるかかなたにつらなっていた。彼杵俵峠の美しき空と海と光をあとに聖人の道程が深く心にきざまれた。
 素晴らしい巡礼ウォークであった。
第51回(2010年4月340号掲載) アロイジオ記

2月6日(土)〜7日(日)
 2月6日(土)18人で高松を出発。マルイ観光マイクロバス。マルイさん,広島以西ではずいぶんとお世話になりました。ひた走ること8時間,長崎県に入ったところで,予定よりもやや早かったので,東彼杵の26聖人乗船地を訪れることにした。一同,記念碑の前で祈りを捧げ,記念撮影後出発。26聖人上陸地の時津を目指す。時津には,前半巡礼のナビゲータをされたO川さんが待っている。2005年2月の第25回巡礼以来,5年ぶりに共に巡礼することになり,今回の楽しみの一つ。
 15時過ぎ,少々お待たせしたO川さんと合流し,上陸祈念碑の前で祈りを捧げ,19人で巡礼開始。
 時津・西坂間は12kmほどの道のりだが,今日は浦上天主堂までとし,H口神父様にミサをあげていただく予定。今回使用した地図は「浦上街道ウォーキングマップ」(社団法人長崎国際観光コンベンション協会発行・ネットでも入手可能)
 いつものようにロザリオを唱えながら淡々と歩いたが,浦上小教区のミサ開始時間が迫ってきたため,我々の浦上天主堂でのミサは中止。被爆マリア像小聖堂で,H口神父様に説明をしていただき,1日目は終了とした。
 宿は「矢太樓」。食事会場では,それぞれが巡礼に対する思いなど発表し,盛り上がった。深夜も大いに盛り上がった(とのこと)。
 2日目,浦上天主堂へ。ここで浦上小教区のミサ司式を依頼されたH口神父様と別れ,9時過ぎに天主堂下の天主公園から巡礼開始。
 階段,坂道,細い路地(「ここ,本当に街道だったの」と思うような道)を歩き,被爆で片足になった鳥居等を見物しつつ,また,詳細な地図があるにもかかわらず道を間違えたりもしながら,徐々に西坂に近づいていく。
 10時過ぎ,とある坂の上から,聖フィリッポ教会の二つの尖塔が見えた。いよいよ,ゴール間近。
 10時15分,西坂公園に到着。2001年3月に開始した巡礼は,全51回68日間をかけて終了した。思い思いに祈った後,26聖人のレリーフ前で一緒に祈りを捧げた。マルイ観光さんが巡礼終了のお祝いにシャンパンを用意して下さり,公園下の駐車場で乾杯。
 その後,大浦天主堂を訪問。お土産を仕入れ,食事を済ませた後,再び西坂へ。目的の一つであるバチカン駐日大使司式の26聖人記念ミサに参加。ここでは,M宅さんが,高校時代の御友人と卒業以来という再会を果たされた(なんと御友人も洗礼を受けていたというサプライズ付き)。
 14時から1時間30分ほどでミサは終わり,バスに向かう途中で,本巡礼にも数回参加され,シスターになるべく聖母の騎士修道女会に入られたO島さんと偶然お会いし,記念撮影などで盛り上がった。
 なんだかんだで16時前に出発,高松着は翌0時過ぎ,実に充実した2日間であった。

総集編

  終わった… M.インマクラダ記

 思い起こせば,10年前か・・・。大聖年も終わりの2000年の12月。20世紀と21世紀を繋げる「何か」がしたいと思っていた私は,「京都から長崎まで歩く」という野望をクリスマス劇の打ち上げの席で“つい”口にしてしまった!一人でひっそりと京都を訪れるはずだったが,暮れも押し迫った日に頑強な男とヒョロ高い男と三人で京都の地を踏む事になった。先ず,フランシスコ修道院に行ったが,神父様には会えずじまい。とりあえず,堀川通りの一条戻り橋から三人で歩き始めた。「夢が現実になったんだ」と言う気持ちで1時間くらい歩いた。これが“プレ26聖人巡礼ウォーク”だ。ギリギリの日だったが,「繋いだ」と思った。正式には,2001年の3月から2ヶ月に1回の割合で歩き始めた。ところが,思うようには歩けなかった。イースター劇やクリスマス劇や劇団の稽古で参加自体が難しい。こんな筈じゃなかったと思っても仕方ない事だったが,行けない時は,気がめいった!ものすごく損をしているような気がした!歩いている人が羨ましかった。だから,参加出来た時は本当に嬉しかった!今回,最後の2回を歩いて,「企画を出してよかった」と思っている。途中で,参加出来なくなった人がいたり,参加を始める人がいたり・・・。皆がそれぞれの場で協力し合って,京都から西坂まで歩き繋いだ。ウォークに係わった人の中で,4人は「26聖人」に会いにさっさと帰天した。普段はなかなかロザリオで祈れないが,歩きながら繰るロザリオは楽しみすら感じた。西坂に近づいてからは坂が多く,息を切らしながらでは気を散らす暇も無く,純粋に祈っていられた。西坂で聖人達にお会いした時,懐かしい人に会ったような親しみを感じた。涙が流れた。「これからの人生も,一緒に歩いて下さい。」


 長崎の地にたどり着いて ダンボ(団母)ベロニカ記 

 京都から長崎まで本当に本当にながーい道のりでした。この距離を全部ずっと歩いて行くなんて,と,最初この計画を聞いたときは本当に本気なのかと疑ったくらいです。
 そして丸9年かかって最終地点,長崎の西坂の丘にたどり着いた今,つくづくやればこうして出来るものだと,我ながら感心したりしています。
 それにしても 歩くということの楽しさ,素晴らしさを今さらながらに思うのです。何も考えていないようで,いろいろの事を思い巡らしている・・・自分と向き合って。これはもう黙想と言っていいのでしょう。それに加えて各自ひっそりとロザリオの祈りを無言で唱えるというやり方も非常によかったのです。何環目かも分からないくらい,エンドレスでずーっと続けていると,不思議なくらい気持ちが穏やかになって,いつのまにか腹立ちやイライラの気持ちを忘れていることに気がつくのでした。
 そして過去の楽しかった事やなつかしい思い出など,それに加えて読んだ本や見た映画の感動の場面などまで,リアルに浮かんできて,えも言われない豊かな気持ちにもなっていました。これまで私は自分の事を小心者でビクビク生きているように思い込んでいましたが,心の中に,こんなに豊かな自分の世界を持っていたのだと知り,心底,感謝の祈りが湧き上がってきたものです。一歩一歩自分の足で歩くという行為が導き出してくれた喜びの世界でした。
 さらに自分で勝手に「巡礼団の母」になろうなどと思って,ダンボ(団母)と命名し,夫は「巡礼団の父」で,ダンプ(団父)と。団員のみんなは笑いながら受け入れてくれて一気に和める気持ちになり,旅が楽しくなっのです。
 殉教という死へのつらい道行をした26聖人の方々には申し訳ないような楽しいそして実り多い巡礼ウォークの旅なのでした。


 26聖人巡礼ウォークと私 マリア・ミカエラ記

 私は,第37回(2007.2.24)のJR大内駅〜JR徳山駅までの巡礼ウォークに初めて参加をし,最終回の西坂までを入れて,合計8回の参加をしました。
 2005年に洗礼を受けて,教会にも少しづつ慣れてきた頃,この『26聖人巡礼ウォーク』があることを知り,歩くことには自信もあり,また将来スペインの《サンティアゴ・デ・コンポステーラ》を巡礼したい希望もあったので,ただ「歩いてみたいなぁ〜」という思いを持つようになり,だんだんその思いが強くなっていき,参加へと実現していきました。
 8回の巡礼では,一度だけ本格的な雨にあいましたが,あとは天候にも恵まれての巡礼でした。道も一回だけ,山の中を道になっていないようなところもありましたが,ほとんど比較的歩きやすい道(旧街道)でした。よく晴れた天気のいい日は,歩きながら田畑,山いろんな風景を楽しみながら,気持ち良く歩けました。
 歩く道中は,深堀司教様の十字架を何回か掛け,O浦さんの遺骨を一度かけ,そして,約束であるロザリオをその時の思いを込めて唱えながら,私なりに巡礼を繋いでいくことができました。最終回前の大村湾を目の前にした時は,その静けさに繋がる26聖人らの信仰の強さと広がり,ご聖体拝領を最後まで強く望みながら殉教へ向われた思いが心に深く響き伝わってきました。そして最終回,目指し続け繋いできた殉教地西坂では,26聖人のレリーフと感動と涙の対面をしました。26聖人のみなさんが喜んで,手と手を取り合って出迎えてくださったようでした。望み続けたご聖体拝領を,「26聖人殉教記念ミサ」で私たちも共にすることができ,本当にうれしく,生涯を通して生きづつける思い出になりました。
 26聖人巡礼ウォークを通して学んだことは,この巡礼を毎回参加していく中,今回・次回と巡礼に参加できるかどうか,わたしには予算的にも悩むところでした。けれど,聖書の勉強が教えて下さるように,自分だけで心配せずに,すべてを主にゆだねていくと,すべては主が良いかたちでご用意してくださっていたことを,大村湾での静けさのように穏やかな心の平和を体験しました。今は,まだ先ははっきりと見えないけれど,見えない中に主を通して働く神様の愛が待っていること。神のみ旨は,決して難しいものでも,遠く離れたものでもなく私の意志。この神様への信頼が日々の生活の中にしっかりと生きつづける信仰をこれからの長い人生を通して,伝え,繋いでいくことができればと思います。
 この思いを持つことができた喜び,26聖人巡礼ウォークに 神に感謝!