小部屋トップへ

聖母マリアとイコンについて

 前回私は「聖母の被昇天」について話しました、「聖母」と言うと「聖母マリア」を指すことは誰でも知っています。日本語では「聖母」という呼び名が一般ですが、外国語(特にヨーロッパ各語)では「汚れない女」、「聖処女」、「我らの母」などの呼び方がされています。皆さんも聖母マリアの連祷の中で「明けの星」とか「平和の元后」など、さまざまな呼び名があるのを知っておられるでしょう。
 このように聖母マリアに対するさまざまな呼び名がありますが、それはどれだけ人々が親しみを覚えていたかを物語るものといっていいでしょう。ヨーロッパではそれが民間伝承の形をとって聖母マリアの奇跡物語となったりしましたし、また、多くの画家や音楽家が聖母マリアのために作品を残しました。そのような中でひときわ私たちの目をひきつけるのは東方教会の聖母のイコンであり、特に御子イエスと一緒に描かれたものは大きな印象を与えてくれます。
 イコンは普通の絵と違って、描かれた人物を描くのに画家の技術によって左右されるような質感や誇張をすべて排除して描かれています。ですので同じように聖母マリアと御子イエスを題材にした絵、例えばイタリアの画家ラファエッロの絵とウラディミールの聖母子のイコンを比べてみればその違いが一目瞭然です。イコンの中にはラファエッロの絵の女性的な母親としてのふくよかさを見出すことはできません。しかし、その中にもっと深く私たちを惹きつける崇高なものがあるのを否定することはできません。
 そのイコンの中で私には聖母が御子イエスを私に紹介しているように思えてなりません、「あなたは私を通して私の子に取り次ぎを願っている、だけど信仰をもってもっと彼に信頼して近づきなさい、ほら!」、このように言っているように思えるのです。このように感じているのは私だけなのでしょうか、皆さんは聖母子のイコンを見るとどのように感じられるのでしょうか。私は聖母を通して主イエス・キリストに祈る、取り次いでもらうことを教えてもらいました。しかし、聖母は私が主キリストともっと深く結びつくことを願っておられることを感じます。
 聖母子のイコンによって私はもっと深い聖母の御心がわかったように思います。
 聖母子のイコンはウラディミールのもの以外にも多くあります、もし、皆さんがそれらを見ることがあれば、どのように感じられたか是非感想をお知らせください。

 私のe-mailのアドレスpsasaki@mxi.netwave.or.jpにお気軽に送ってください。

2002年9月9日
高松教区司祭
佐々木 光雄神父