188殉教者の遺骨
188殉教者の遺骨 桜町教会に

2010年7月1日,188福者記念日に,188殉教者の遺骨が桜町教会聖堂に安置されました。溝部司教は,記念日のミサ説教で次のような説明をされました。(説教全文)
1614年の大迫害の始まる前の時代は,殉教者の遺物を保つことができたこと。
それらの遺物は,長崎のトドス・オス・サントス教会(現在の春徳寺)に集められたが,1614年11月宣教師たちが日本から追放された時,マカオに持って行かれ,マカオではカテドラル(サン・パウロ教会)に,殉教者一人一人名前を書いて箱に入れた状態で保管されたこと。
マカオのカテドラルには,1800年ごろ殉教したベトナム人殉教者の遺骨も一緒に保管されていたが,1835年に起こったマカオの大火災で,サン・パウロ教会が全部焼け落ちてしまい,ベトナム人殉教者と日本人殉教者の骨が全部混ざってしまったこと。
火事の後,それらの骨は全部拾い集められて,マカオの司教館の一隅に置かれたが,後にサレジオ会のフランシスコ・ザビエル教会の中にきちんと保管されたこと。
マカオの大司教は,マカオが中国に返還される時に,その骨を日本に送ることを決め,今は長崎の26聖人記念館の「瞑想の間」の上の棚に,きちんと整理されて保管されていること。
溝部司教は,その遺骨の一部を,結城了雪神父の教会である阿南教会と,カテドラル桜町教会のために譲り受けて下さったこと。
この骨はDNAにより成人男性の骨だということは分かっているが,誰の骨かは分からない。ベトナム人の殉教者の骨かもしれないが,日本の殉教者とすれば,八代の三人の男性,有馬の三人の男性,加賀山隼人,山口の熊谷豊前守,盲目のダミアンのうちの誰かである可能性は十分にあること。
遺骨は,夏の間,聖ヨゼフの祭壇に安置されていましたが,9月末に安置箱が設置され,今はその中に安置されています。

(安置箱へ)


この安置箱の製作は,三本松教会のクレメンテ氏に依頼しました。